【書籍・資料・文献】『日本語は生きのびるか』(河出ブックス)平川祐弘

福澤諭吉の衝撃

 一万円札の顔でもある福澤諭吉は、中津藩士の子として出生したが、生まれ育ったのは大坂だった。天下の台所として知られる江戸期の大坂では、米相場にもっとも大きな影響を及ぼす堂島があり、堂島は日本経済を左右する力があった。

 明治期に資本主義が勃興した日本だが、それまでは米が経済の中心だった。地租改正で金納に切り替わったが、それまでの税制は米納だったことからも、米が経済の中心だったことが窺える。

 堂島で育った福澤は、身辺の変化もあり、長崎や中津で過ごすが、再び大坂で暮らす。大坂生活では、緒方洪庵という師を得た。ここで勉学の重要性を悟る。

 鎖国によって国を閉じていた江戸幕府下の日本では、海外の最先端情報はオランダを経由してもたらされる。最先端の文化・学問を会得するには、オランダ語が必須だった。そのため、福澤はオランダ語を習得。大坂から江戸に出た後もオランダ語に打ち込んだ。

 ペリー来航で騒然とした江戸において、福澤は腕試しをかねて横浜へと足を向ける。そこで福澤が目にしたのは、オランダ語ではなく英語だった。ペリーがアメリカ軍人だったから、ではない。世界の覇権はアメリカ・イギリスが握っており、そのために国際標準語は英語という風潮になっていたからだ。

 世界には無数の言語が存在する。それらの言語は時代とともに興亡盛衰を繰り返してきた。

 中世ヨーロッパでは早くから資本主義の概念が定着しつつあったが、複式簿記を編み出し、資本主義をリードしたのはイタリアだった。そのため、イタリアが世界の中心であり、国際標準語たる言語はイタリアだった。フランスとイタリアの2ケ国は隣接しているが、互いの首脳が会合する際はイタリア語が共通言語としいて使用されたという。

 こうした覇権国家の言語が、自然に国際標準語となる流れがある一方で、各分野で突出して秀でた国の言語が、その分野だけで国際標準語になり得る場合もある。

 例えば、中世ヨーロッパで音楽をリードしたのはオーストリアであり、オーストリアからは多くの著名音楽家を輩出している。そのため、音楽界ではオーストリアの公用語であるドイツ語が国際標準語として用いられていた。医学界も長らくドイツが最先端だったために、ドイツ語が国際標準になっていた。現在は、医学界でも英語が国際標準になっているようだ。これも、アメリカが医学界の最先端であるからだろう。

 日本においても、明治期まで政治家や官僚といった高貴な身分の人たちの素養として漢文の読み書きは必須だった。それは法令などをはじめとする国の文書類が漢文で著されていたからだ。

 横浜でオランダ語がすでに時代遅れと打ちのめされた福澤は、その後に英語の習得にも打ち込む。その変わり身の早さはさすがと思わせるが、その一方で福澤は日本語を廃止して、ローマ字による代替を訴えてもいた。

 私たちは何気なく日本語を当たり前のように使用しているが、日本語には「ひらがな」「カタカナ」「漢字」など3種類の文字が混在する。これでは、文字を覚えるだけで一苦労だ。だから、単純明快のローマ字に切り替えれば、文字を覚える労力を軽減できる。福澤の言い分はもっともだが、文字を覚える労力の軽減というだけで、社会が日本語を捨ててローマ字に切り替えることなどあり得なかった。

多言語化の要請

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