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フルブライト奨学生になるまで①

皆様、はじめまして。
今日は、私の自己紹介とフルブライト奨学金を応募した
きっかけについてお伝えします。


自己紹介

福岡のテレビ局で働く入社7年目の報道記者です。
簡単に経歴を紹介します。
総合職採用で入社し、報道部の社会班に配属(警察担当)
事件・事故・災害など新聞の社会面に載るニュースを担当し、
いわゆる「特ダネ」をとるために、”朝駆け夜回り”をする日々でした。
警察幹部にとって、記者に情報を漏らすことは「ハイリスクノーリターン」ですので、(バレたら守秘義務違反で処分の対象となります)
記者が「特ダネ」をとることがどれほど難しいかは、推察いただけれるかと思います。

夜討ち朝駆けとは、夜遅くや早朝に取材先へ出かけ、(半ば強引に)取材すること。基本的には予告をせず、取材相手が仕事を終えて帰宅した夜(夜討ち)や、出勤直前の早朝(朝駆け)に自宅を訪れて取材することを指す。仕事中は多忙であるなどの理由で、対応してもらえない相手に取材する場合に使われる手法

メディアポより引用

3年目で九州最北端の北九州市に異動し、
「修羅の国」と揶揄される一因となった暴力団の取材を担当しました。

私が着任したときにはトップは既に逮捕されていて、リアルタイムで事件が起きるというよりは、裁判の動向や未解決の殺人事件の検挙などが焦点でした。

その後、担当が変わり、現在は政治経済を中心に取材しています。
全国的に負のイメージが強い北九州市ですが、OECDからアジアで初めて「SDGsモデル都市」に指定されていて、先進的な側面も持ち合わせています。こうしたテーマの取材を続けたことが留学に繋がっていきました。


フルブライト奨学金について

次に、フルブライト奨学金について説明します。
崇高な目的のもと、各国と米国政府によって運用される給付型奨学金で、
学費や生活費、渡航費に医療保険までカバーされています。
これほど手厚い奨学金は、なかなかないと思います。

フルブライト・プログラムは、奨学生に対してそれぞれの専門分野の研究を進めるための財政的援助を行うとともに、何らかの形で日米の相互理解に貢献できるリーダーを養成することを目的としています。従ってフルブライト奨学生は各自の研究活動を行うだけでなく、それぞれの留学先や地域社会・文化等の様々な活動に積極的に参加することで両国に対するより一層の知見を広める事が期待されています。また、帰国後も同窓生として専門性の高い職業あるいは私的な活動を通して、直接的・間接的に日米関係の向上に貢献することが期待されます。
日米間のフルブライト・プログラムは所属機関・居住地・人種および信条に関係なく応募者個人の資質に基づいて選考する一般公募の奨学金制度として国際的な評価を得ています。

  日米教育委員会 https://www.fulbright.jp/scholarship/about.html

ノーベル賞受賞者など、歴史に名を刻む人たちが利用していて、
最近では、去年ノーベル平和賞を受賞したフィリピンのジャーナリスト、
マリア・レッサさんも1986年にフルブライト奨学生として渡米していました。

フルブライトフィリピンのFacebookより

フルブライト奨学金に応募するきっかけ

報道部には、地震などの災害に、24時間対応できるように、会社に泊まる宿直勤務があります。入社1年目のころ、研修期間中に一緒に泊まり勤務になった先輩が、かつてフルブライト奨学金を得て、1年間アメリカに留学に行った話を聞かせてくれました。
当時の私は、前述の「朝駆け夜回り」で日々を生きるのに精いっぱいで、先輩のエピソードが夢物語のように聞こえました。
学生時代に、2か月ほどニュージーランドに留学した経験はありましたが、もっと長期で外国に住んでみたいという気持ちが強かったことと、アメリカに対する漠然とした憧れから、私もいつか応募すると心の中で決めました。
フルブライト奨学金や留学に関する知識はゼロでしたが、留学時の経験をいきいきと話す先輩の様子を見て、それがいかに素晴らしいものなのかは、十分に理解できました。
あの夜の一瞬の出来事が、私の出発点になりました。

次回は、1年目の私がフルブライトに応募することを決心してから
どのような経路をたどってきたのか、お伝えする予定です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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