古代ローマの消防事情

ローマの首都であるローマ都で消防の活動をしていたのは消防部隊(cohortes vigilum)と村(vicus)と呼ばれる組織である。共和政の初期では政務官とその奴隷が消防の活動をしていたが、任期が1年で政治の素人でもできる政務官では消防の任務に対応できなかった。そこで、初代ローマ皇帝であるオクタウィウス(前63年-後14年)が近衛部隊(cohortes praetoriae)や都警部隊(cohortes urbanae)と共に消防部隊が作られた。消防部隊の任務は主に消防活動だったが、建物や水道などを災害から守ったりもした。消防部隊が作られた当初は近衛部隊や都警部隊よりも格下だったが、後37以降は近衛部隊や都警部隊と同格になった。

オクタヴィウスは前7年にローマ都を14個の大隊区(legio)と265個の村(vicus)に編成した。後6年に常設の消防部隊を設けた。村長は1つ村につき4人で、村長は開放された奴隷か公有奴隷(公務員?)だった。前者は奴隷の反乱を防ぐために任命されたと思われる。

隊員は将(praefectus?)、将補(不明)、佐官(tribunus?)、尉官(centurio?)、鉤(現代のクレーン車?)を担当する隊員、武器を担当する隊員、消防用水を担当する隊員、ポンプを担当する隊員がいた。消防部隊は4900人で構成され、1つの集団は7つの連隊からなり、1つの連隊は7つの中隊からなり、1つの中隊は100人の隊員からなる。1つの連隊が2つの管大隊区を担当し、消防署(excubitorium)は大隊区ごとにあった。

参考サイト
帝政期都市ローマにおける消防活動と社会的地位 : 消防隊とウィクス 本間 俊行 2007

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