孫子の兵法 3/4 原文

第7章 軍争

一 孫子曰わく、
 凡そ用兵の法は、将 命を君より受け、軍を合し衆を聚[あつ]め、和を交えて舎[とど]まるに、軍争より難きは莫し。軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先きんじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。
 故に軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えば則ち及ばず、軍を委[す]てて利を争えば則ち輜重捐[す]てらる。是の故に、甲を巻きて趨[はし]り、日夜処[お]らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、則ち三将軍を擒[とりこ]にせらる。勁[つよ]き者は先きだち、疲るる者は後れ、其の率 十にして一至る。五十里にして利を争うときは、則ち上将軍を蹶[たお]す。其の率 半ば至る。三十里にして利を争うときは、則ち三分の二至る。是れを以て軍争の難きを知る。
 是の故に軍に輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積なければ則ち亡ぶ。
二 故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行[や]ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。

三 故に兵は詐を以て立ち、利を動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾[はや]きこと風の如く、其の徐[しずか]なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠[かす]むるには衆を分かち郷[むか]うところを指[しめ]すに衆を分かち〕、地を廓[ひろ]むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は〔〔勝つ。〕〕此れ軍争の法なり。

四 軍政に曰わく、「言うとも相い聞えず、故に鼓鐸を為[つく]る。視[しめ]すとも相い見えず、故に旌旗を為る」と。
 夫れ金鼓・旌旗なる者は人の耳目を一にする所以なり。人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むことを得ず、怯者も独り退くことを得ず。紛々紜々[ふんふんうんうん]、闘乱して見るべからず、渾渾沌沌、形円くてして敗るべからず。此れ衆を用うるの法なり。
 故に夜戦に火鼓多く昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うる所以なり。
 故に三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。
 是の故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ。此れ気を治むる者なり。
 治を以て乱を待ち、静を以て譁[か]を待つ。此れ心を治むる者なり。
 近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ。此れ力を治むる者なり。
 正々の旗を邀[むか]うること無く、堂々の陳[じん=陣]を撃つこと勿し。此れ変を治むる者なり。

第8章 九変

一 孫子曰わく、 凡そ用兵の法は、高陵には向かうこと勿かれ、背丘には逆[むか]うること勿かれ、絶地には留まること勿かれ、佯[しょう]北には従うこと勿かれ、鋭卒には攻むること勿かれ、餌兵には食らうこと勿かれ、帰師には遏むること勿かれ、囲師には必らず闕[か]き、窮寇には迫ること勿かれ。此れ用兵の法なり。

二 塗[みち]に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。

三 故に将 九変の利に通ずる者は、兵を用うることを知る。 将 九変の利に通ぜざる者は、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざる者は、五利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。

四 是の故に、智者の慮は必らず利害に雑[まじ]う。利に雑りて而[すなわ]ち務め信なるべきなり。害に雑りて而ち患い解くべきなり。

五 是の故に、諸侯を屈する者は害を以てし、諸侯を役[えき]する者は業を以てし、諸侯を趨[はし]らす者は利を以てす。

六 故に用兵の法は、其の来たらざらるを恃[たの]むこと無く、吾れの以て待つ有ることを恃むなり。其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり。

七 故に将に五危あり。必死は殺され、必生は虜にされ、忿速は侮られ、廉白は辱められ、愛民は煩さる。凡そ此の五つの者は将の過ちなり、用兵の災いなり。軍を覆し将を殺すは必らず五危を以てす。察せざるべからざるなり。

第9章 行軍

一 孫子曰わく、
 凡そ軍を処[お]き敵を相[み]ること。
 山を絶つには谷に依り、生を視て高きに処り、隆[たか]き戦いては登ること無かれ。此れ山に処るの軍なり。
 水を絶てば必らず水に遠ざかり、客 水を絶ちて来たらば、これを水の内に迎うる勿く、半ば済[わた]らしめてこれを撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うること勿かれ。生を視て高きに処り、水流を迎うること無かれ、此れ水上に処るの軍なり。
 斥沢を絶つには、惟だ亟[すみや]かに去って留まること無かれ。若し軍を斥沢の中に交うれば、必らず水草に依りて衆樹を背[はい]にせよ。此れ斥沢に処るの軍なり。
 平陸には易に処りて而して高きを右背にし、死を前にして生を後にせよ。此れ平陸に処るの軍なり。
 凡そ此の四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。

二 凡そ軍は高きを好みて下[ひく]きを悪[にく]み、陽を貴びて陰を賎しむ。生を養いて実に処り、軍に百疾なきは、是れを必勝と謂う。丘陵堤防(堤はこざとへん)には必らず其の陽に処りて而してこれを右背にす。此れ兵の利、地の助けなり。

三 上に雨ふりて水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て。

四 凡そ地に絶澗・天井[せい]・天牢・天羅・天陥・天隙あらば、必らず亟かにこれを去りて、近づくこと勿かれ。吾れはこれに遠ざかり、敵にはこれに近づかしめよ。吾れはこれを迎え、敵にはこれに背せしめよ。

五 軍の傍に険阻・こう[水黄]井・葭葦[かい]・山林・えい[艸+翳]薈[わい]ある者は、必らず謹んでこれを覆索せよ、此れ伏姦の処る所なり。

六 敵近くして静かなる者は其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑む者は人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は利するなり。衆樹の動く者は来たるなり。衆草の障多き者は疑なり。鳥の起つ者は伏なり。獣の駭[おどろ]く者は覆[ふう]なり。塵高くして鋭き者は車の来たるなり。卑くして広き者は徒の来たるなり。散じて条達する者は樵採なり。少なくして往来する者は軍を営むなり。

七 辞の卑[ひく]くして備えを益す者は進むなり。辞の強くして進駆する者は退くなり。約なくして和を請う者は謀なり。軽車の先ず出でて其の側に居る者は陳するなり。奔走して兵を陳[つら]ぬる者は期するなり。半進半退する者は誘うなり。

八 杖[つえつ]きて立つ者は飢うるなり。汲みて先ず飲む者は渇するなり。利を見て進まざる者は労[つか]るるなり。鳥の集まる者は虚しきなり。夜呼ぶ者は恐るるなり。軍の擾[みだ]るる者は将の重からざるなり。旌旗の動く者は乱るるなり。吏の怒る者は倦みたるなり。馬に粟[ぞく]して肉食し、軍に懸ふ[卸-卩+瓦]なくして其の舎に返らざる者は窮寇なり。諄々翕々[じゅんじゅんきゅうきゅう]として徐[おもむろ]に人と言[かた]る者は衆を失うなり。数[しばしば]賞する者は窘[くる]しむなり。数罰する者は困[つか]るるなり。先きに暴にして後に其の衆を畏るる者は不精の至りなり。来たりて委謝する者は休息を欲するなり。兵怒りて相い迎え、久しくして合わず、又た解き去らざるは、必らず謹しみてこれを察せよ。

九 兵は多きを益ありとするに非ざるなり。惟だ武進することなく、力を併わせて敵を料[はか]らば、以て人を取るに足らんのみ。夫れ惟だ慮[おもんぱか]り無くして敵を易[あなど]る者は、必らず人に擒にせらる。卒未だ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。卒已[すで]に親附せるに而も罰行なわれざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれを合するに文を以てし、これを斉[ととの]うるに武を以てする、是れを必取と謂う。令 素[もと]より行なわれて、以て其の民を教うれば則ち民服す。令 素より行なわれずして、以て其の民を教うれば則ち民服せず。令の素より信なる者は衆と相い得るなり。

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