ヤマダと感想

感想、と聞いて何を思うだろうか。
人間が感想を観測する場合、誰の感想かが重要かと思う。
感想はコミュニケーションの入口であり、
興味のない人間の感想はどうでも良い。
であるからして、感想には「自分語り」を交えて話す必要があるのだ。
読書感想文に必ず「自分はこう思った」を入れなくてはならなくて、生徒がそれを面倒がる場合は教師に自分の話をする価値を感じていないからだ。
オガワは顔の分かる相手に自分の話をするのが苦手なので、ついぞ夏休みの自由研究に読書感想文は選ばなかった。

ヤマダは「人間の作る創作物は総じて排泄物とよく似ている」という論を展開していた。
オガワもその通りだと思う。
吸収したものが包み隠さず露呈するあたり。
出さないと死ぬあたり。
とても似ている。

さて、そんなヤマダのR *3の感想が酷かった。
ヤマダはオガワとコミュニケーションを取る気があるのか?と不安になった。

R *3をおすすめしたのはオガワなので、聞いてもいないのに感想を話しだすのはまあいい。
「(要約)シナリオがちゃんとしてたので良かったです。
おわり」
オガワがnoteに書き散らしているのとはワケが違うんだぞ。
オガワにダイレクトメッセージしてるんだぞ!
どのシーンが好きかくらい語れーーー!
ダラダラ50行も書いてコミュニケーションの入り口にもならん話をするな。

あ!?オガワからどのシーンが好きか振ればよかったのか…?
そうかもしれない。あまりにも流暢に"自分語らず"で終わってしまって困惑してしまった。
ヤマダ、「よかったね〜!」で済ませてしまってすまなかった。
50行読んで疲れちゃったのだ。


いや、オガワがヤマダと話したかったのだ。
だからもっと詳しく聞きたかった。
好きなシーンを語れ、という不満を垂れることもなかった。

よくない兆しだ。ヤマダに興味があるように振る舞っている。無いのに…無理をするなオガワ!
やはり「よかったね」で返答としては良かったのだ。タイミングがあんまり良くなかった。修正。どこかでヤマダも切らなくてはならない。
タイミングが掴めん…。次こそ!

そういえば「嫌なこと1」で語った癒す者へのバックレは成功した。
普通に電話して「都合つかないのでまた連絡します」と宣ったらアッサリOKしてくれた。
オガワのストレス源は、オガワの一存でキッチリカッチリ切り取らねばならない。
癒す者もヤマダも。
首壊したらまた行くね〜👋というきもち。