趣味と生業と仕事

趣味…(利益などを考えずに)好きでしていること。
生業…生活のもとでを得るための職業。家業。
仕事…(「為し事」の意)身体や頭を使って働く・(しなければならないことをする)こと。(狭義ではその人の職業を指す)

引用元:新明解国語辞典 第二版


オガワ、高校の終わりから去年まで美術館巡りと映画鑑賞が趣味だった。
でも最近両方満足してやめた。両方8年くらい毎月2回は通っていた趣味だった。
カドクラからいまだに新作映画のトレーラーが送られてくるが、大体無視してるし、ヤマダや推しの配信者が「君たちはどう生きるか」の話をしても結局アマプラに来るまで待とうとしている。

交友関係が変わる予感がしている。
まあ、その交友みたいなのも趣味としては満足してやめている感じに近いから、今後はソロ活が趣味になるかも分からん。

続けることが大切だ、みたいな話をよく聞くが、8年続けて満足してやめるのってそんなに悪いことなんだろうか?
生業の観点から言っても、最近は続けたところで給料は上がらず、若者は仕方なく副業をするしか最低限の暮らしを整えられないので、「それならば!」と、自分のやりたいことを生業にしているだけに見える。
ましてや趣味だ。「満足したら次の趣味」でも良かろう。

このあいだもTwitchにハマって、やっと配信者の方に名前を覚えてもらった辺りで満足してやめた。
半年間毎日見てたから、美術館巡りと費やした時間は同じくらいな気がする。
ファンアートを2ヶ月で10個くらい描いており、半分くらいアニメーションであった。
楽しかった。

恐らくは同じ趣味に同じだけ時間を使っていて、その時間が経過すると満足するのがオガワの生態なのだと思う。

趣味はこんな感じ。

オガワの生業は地図屋である。
新しくできた施設や、逆に無くなった施設を確認しては描き替えることを生業に生活している。

一方で、仕事というものが存在する。
これは生業とも少し違う。
仕事は、オガワがやらなければならないものだ。

生業は65かそこらになったら終わりだし、扱っているものも契約が切れたら触ることができなくなる。しかし、仕事は違う。

オガワが死ぬまで向き合って良いもので、売り物とは限らない。
つまり仕事は多くの場合「儲からない」。

これは、一般の人にわかりやすいのは売るでもなく油絵を続けている人とか?
「趣味じゃん」という人もいる。
実際「趣味で〜」と話すこともある。
これは仕方なのない事で、一生続くかどうかは本人以外分からないのである。
他人に分かる時は、本人が死んだ後か死ぬ間際くらい。
一時的なコミュニケーションの途中でそんな長ったらしい定義付けの話なんてしてられない。

オガワにも一つだけ仕事がある。
仕事を軸に周りを趣味で固めている感じ。
時々仕事しかしてない時期があって、その時は「趣味が無くて」と言っている。あれは仕事で趣味じゃないしな…と思ってしまうのだ。そんな感じ。

共に過ごす時間が長いので、生業にしないのか聞かれるが、仕事は生業より大切なので生業にはしない。
もう聞かないでほしいが、いつも聞かれる。
生業ほど短期的な情熱で回せないのだ。分かっておくれ。

そもそもこれは3歳の時からやっている事で、そんなものに生業ほどのエネルギーをかけてたらとっくに死んでいる。
生業は23〜65で終わるから、そのバランスでエネルギーをかけているのだ。
3〜85(仮)に同じエネルギーはかけられん。

かけたらどうなるのか、と思う時もある。そのうちかけてみたい。
まあ一生やっているので、もう少しお金が貯まってからで良いだろう。