他人に興味がないということ

2023.06.08
そういえば他人に興味が無くなって3ヶ月経った。

思い返せばもともとそんなに他人に興味は無かったように思う。
ただ、「幸せの度合いはコミュニティの立ち位置で決まる」という研究結果に基づいて考えるのであれば、学生時代はそれなりにコミュニティを持っていたし、立場も悪くならないように立ち回って来た。幸せになるためだ。

で、社会人3年目。職場では問題ない立場で日々粛々と暮らしている。
友人とオガワの間には1対1のコミュニティしか存在せず(ここが少し特殊というか、「部活の仲間」とかそういうコミュニティをオガワは待ち合わせていない)精神的に不安定になることが多く、膨張し過ぎたSNSではコミュニティの大きさを測れず、立ち位置不明によるストレスを溜めている感覚があった。

まあ、それで、10年近く運営していたTwitterアカウントを削除し、各種SNSも同DNA保持者と仕事で話す人に絞った。

めちゃくちゃ楽になってしまった…!え!?

相手を気遣う時間がかなり減って、その分気になっていた様々なことに手を出している。
こんな楽しいことをそっちのけにして、オガワは今までコミュニケーションごときに気を使っていたのか!

とは思ったものの、今なんとなく職場での地位が安定していることや、そもそも「なんか変なコミュニケーションストレスを溜めているな…」という事に気が付けたりしたのは過去の自分が真面目に所属コミュニティで努力していたからなのでとやかくは言わない。
良い人生だった!これからもっと良い人生になる!

目下問題といえば「職場の立場はオガワだけで製造したものではない」という事だ。

現状、オガワのコミニュケーション能力はここでストップに近い状況になる。
これが、今ではない未来で問題になるような気がする。
仕事以外にコミュニティを持ってこなかった高齢男性がウツになったりするだろう?あれになりそう…みたいな。
まあ、ああいう人間は「地域のコミュニティで立ち位置を確保できなかったと自認してしまった人間」なので、自認しないか、別のコミュニティで立ち位置を確保できれば精神が安定する。
この場合オガワは引きこもりなので、この「自認しない」というのが使えるんじゃないかと思っている。
まあ、視覚情報というのは暴力的なまでの情報量を持つので、その時実践可能かは分からないが。
今は大体これができているので、とても楽になっただけなのだ。
ありがとうAmazon。ありがとうGoogle先生。

ふと、3ヶ月前まで懇意にしていた人間たちのことが気になるが、皆鍵付きアカウントなので見に行っても意味は無いし、結局オガワはもう関わり合いがないのでやっぱり意味はない。
だんだんこの気になる気持ちも薄れていくのだろう。

不思議な感覚だ。
実はこういう感情の人はそこそこ居ると思うのだが、皆精神的には現状に満足していて、かつ他人に興味が無いので、この感覚が人類から露呈していることも少ないと思う。
話す価値も相手も見つからない状況に満足しているのだから。

試しに「他人に興味がない」で検索したら「そういう相手にどう接すればいいか?」みたいなやつしか出てこなくて、さも悪いことのように言われていた。
「他人に興味が無い」のが悪いのではない。
「長期所属予定コミュニティで他人に興味が無いことが相手にバレる」のが悪いのだ。
他の条件のコミュニティだったり、相手にバレていなければ大した問題にはならない。
認識を間違えるなよ、人間ども。