映画『マルセル 靴を履いた小さな貝』

2024.04.21 観測
面白すぎてびっくりした。
なんということだ。全て正しい。
映画に必要な全てのことをきちんと丁寧にこなしている。

オガワは墓が美しすぎてそこからほぼ泣いていた。
マルセル他貝の文化は、「葬式の時盛大に墓を飾る」なのだ。人間で言うと墓石の半径2mくらいを墓石を中心に半円状に草花で飾るという感じ。
良すぎるだろ。オガワも華やかに送り出されたい。
泣いてたら終わっていた。
まあ泣きながらも見てたので大丈夫。ストーリーの流れは分かる。

映画の3要素は階級があり、上から、脚本、カメラ(映像)、役者(演技)である。
まず脚本が面白い。とにかく設定が良い。
人語を操る小さな貝がいなくなった家族を探す。その様子を、友達として人間がドキュメンタリー撮影している。
カレーメシのCMの脚本くらい意味がわからない。

映像とはつまり世界観の事。
世界観のコントロールは、アニメーションを作るものにとって常に付きまとう「現代実写映画を撮る者」には無いタスクである。
我々の住む現実世界に対して、どの程度違う世界なのかをひとつひとつ担保していく。
マルセルの体重など良い例で、おばあちゃんはただ立っているだけでパソコンのキーを連打できてしまうが、マルセルはジャンプした時の反動でキーを押す。
この2人には体重の差がある。
画面に出てくる全てのことに関して、このような設定を創作し、ストーリーに影響しないように開示していく。
それが積み重なり、クライマックスでストーリーの説得力に繋がっていく。
マルセルはこの力が飛び抜けて高い。

アニメーションにおいての演技のコントロールは割と簡単だ。
人形たちは制作側がつくるので、「ディレクションが通じない」と悩む時は無い。
声優と演技の方向性を擦り合わせなくてはならないが、これはまあ、他の作品にもある。

マルセルは脚本と映像が突出して素晴らしい。
演技は「悪くない」。
非常に丁寧に「マルセルの世界」を積み重ねて鑑賞者に提供してくれる。
『ショーシャンクの空に』と同じくらいの衝撃だった。
「ショーシャンクの空にがあるならオガワは苦労して映画を撮らなくていいな」と思った事がある。
「マルセルがあるからオガワはアニメを作らなくてもいいんだろうな」と思った。
まあアニメは作るの楽しいからやめないけども。