春が大丈夫になってきた

良いことだと思う。
大学時代、視界が花々で埋まるあの華やかさが嫌だった。
青葉に反射する光が地面からも照り付け、日陰にいても眩しいあの感覚が嫌だった。
とにかく春が嫌いだった。
オガワが目が悪くて、日光を健常者より眩しく感じるせいかもしれないし、気圧の変化が激しく、体力の無い個体にはもともと大変な季節なのに朝から晩まで片道2時間かけて大学に通っていたからかもしれない。
さらには比較的好きな冬が終わるせいもあったかもしれない。

オガワはいつから春が嫌いだったか覚えていないほど昔から春が嫌いだった。中学くらいからなんとなく嫌いだったような気がする。
オオイヌノフグリを見つけて、花弁の淡い青と「デカい犬のキンタマ」という名前との乖離を笑うことでどうにか気を紛らわせながら通学路を歩いているような学生時代だった。
いつも地面を見ていて、ツユクサを見つけるとことさら嬉しかった。とっとと梅雨になって欲しかった。

オガワは恐らく自分が思っているより体の弱い個体で、学生期の「移動」という作業は、春は過剰適応に近かったのだと思う。
一応「全く通えない」というエラーは生まなかったものの、上記のような鬱屈した思想を抱えた人間が周りに迷惑をかけずに過ごせていたかは皆目謎である。
ちなみに現在も春は調子を崩しやすく、頭痛薬をひと月で一箱使うし、強風恐怖症なので風の強い日は布団をかぶって動かない日がそこそこある。

現在、仕事はテレワークで、オガワの居住空間に他者は同居しておらず、他者と繋がりを持つ目的のSNS運用をやめている。

コミュニティに「安定したオガワ」を示す場面が少なくなったのが、春が大丈夫になった一番の要因だと思う。
そも、春のオガワは不安定なのだ。

また、春はコミュニティ内の入れ替えが激しかったりする。誰がどの立場になるかをよく見なくちゃならないし、学生時代は自分の立場が勝手に変更された。
その中で、他者には「安定したオガワ」という幻想を見せなければならない。不安定な人間はコミュニティから排除されやすいため。

学年が上がっても体調は悪くなく、
学年が上がっても怒りや苛立ちを示さず、
安定したオガワで。

え、大変だ。オガワは春大体頭が痛いのだ。
怒りや苛立ちを示さない、は無表情で良いということではなく「敵意のない振る舞いをしろ」ということで、ずっと笑っていると効率が良い。
オガワは春、大体頭が痛いのにずっと笑っていなければならなかった。
そりゃ、春を嫌いになる。大変すぎる。

今は楽なものだ。
最近暖かいので、縁側でひとりBBQをする。顔は無表情でいい。