朝ドラ『らんまん』と天才と高機能自閉症ASD

『らんまん』が終わって1ヶ月経った。
オガワはボタニカルアートが好きで、らんまんの主人公が植物学者で、しかも植物画家であると知り見始めた。

オガワは要潤といとうせいこうが好きで、要潤はとにかく良い人だから好きで、いとうせいこうはは画面の外にいても動き回ってそうなところが好き。

要潤は今回、主演の神木隆之介の恩師であり敵対者であった。

最後は研究者なのに研究室を取り上げられてしまって、オガワはそのシーンを見た時に(宮崎あおいのナレーションだった)
「なんでそんな酷いことをするんだ!」と叫んでいた。
シナリオライターが、「万太郎の敵だし、尺も無いからナレーションでさらっと後日談に書いとくんでいいか」と思っている。
きっと日本で唯一ダイオウイカの研究を続けてるおじいちゃんの、あの、ダイオウイカを見つけた時の笑顔を知らんのだ。

研究者から研究材料を奪うな〜!!

シナリオライターと、史実でモデルの人をそういう目に遭わせた人両方に叫んだ。
「なんでそんな酷いことをするんだ!」

要潤が出なくなって半月くらい落ち込んだ。

まあいいや。


らんまん、槙野自身は生涯を通してほぼ「儲かっていない」。びっくりするほど儲かっていない。

妻が駆け回って資金を集め、子供を育て、その間槙野は本を書いている。
うん。うん?
それで、まあ、一応子供の世話はしているのだが、「働いてないし当たり前だよね」的な空気がある(大学で働くようになるとなけなしの育児描写が消滅する)。
うーん、親だから当たり前なんだ。
働いていないからではない。

トレンディドラマ時代以降、仕事のできる女性の描写は、家事以外のしごでき描写が増えてきた気がする。
しかし、相変わらず男性の「家事でき」描写はあまり増えてない気がする。まあ『らんまん』はそういう話じゃなかっただけかもしれないが…

シナリオにおける「忙しい女性」アイコンなのだ。30秒〜2分くらいの、一通りの家事の描写は。
で、「忙しい男性」のアイコンは「営業風景」。
『らんまん』も例外ではなかったというだけの話である。

映像的記号と、根底にうっすら見える男尊女卑の話はこのくらい。

で、ここからは高機能自閉症ASDと天才の話。

モデルの牧野富太郎はおそらく高機能自閉症ASDである。ASDにもグレードがある。

オガワもASDのケがあるので、あれだけサポートの厚いASDの人を見ると羨ましく思ってしまう。
彼ら高機能ASD研究者は、山と書斎に籠っているから大丈夫だったわけでもなく、普通に仕事で失敗していた。
牧野は植物採集の採集計画をミスり、熊の出る(あの時代の山はどこでも熊が出た)時間帯に案内人を移動させたり、自分達採集団を一晩野宿させたりしている。
正直言って責任問題である。
たまたま熊に襲われなかったから良かっただけ。
明らかに生存バイアスで、この回の報告書をもって採集計画条件が見直されなければ、上の人間は無能と断じられても仕方のない失敗である。
が、それをお茶目エピソードみたいにしてNHKは牧野特集を組んだ。見れて良かった。あれで牧野がASDと確信した。
牧野は高機能ASDだけど、そういう具合で採集団の長を務めるくらい役職のある地位についた。
当時の日本は対人コミュニケーションがコミュニケーションの大半を占めており、是正機会が現代より多いのだ。

総じて、『らんまん』は、ASD研究者がずっと儲からないまま、実家の財産で生き延び、子供を作り、妻に家計の一切を任せ、ただ研究に明け暮れているだけの話だった。
それでも、現代よりもずっと資料が少なく、頑張って森を歩けば新種を見つけられるような研究環境で成功体験は現代の学者より多かっただろう。

一生にかけられる時間はほぼ同じで、それを何に使うかで個人の生き様が決まるという考え方がある。
十数年前までの女性は、女というだけで家事子育てに男性より多い時間を割いていた。
おすえのような女性である。
オガワはおすえが子育ても家事も働きもせず、滝沢馬琴に時間を使ったらどうなったのか、と思う事がある。
しかしおすえはそんな事は考えない。妻として子供を育て、夫を支える方が幸せだから。

ここ数年は女性の社会進出に関して、日本は新しい段階に入ったと思う。
男性は昔より家事をやらなくてはならなくなった。
女性も同じだけ外で働くためである。
が、今は結構ここに軋轢が生じる。

家事代行サービスがまだ、「まれによくある」サービスだからだ。

世の女性達はまだ「家事は妻がやるもの」と思っていて、でも外で働いていてできないから人に頼んでいる今の状況を、あまり人に言うべきことではないと思っているらしい。

家事代行サービスはそろそろ一般化する。
家事代行サービスが一般化したら日本はどうなるのだろうかと思う。
やはり北欧みたいになるのだろうか?

オガワが生きている間に世界が変わるところが見られると嬉しい。