映画『オッペンハイマー』

2024.05.03
上記観測。
まー難しい。役者の顔が覚えられない。
『ダンケルク』の時と同じ現象だ。しかし、ダンケルクの時「なるべくわかりやすく」を目標に作った人が、今回は「なるべくわかりにくく」に舵を切った感じ。
過去をカラーにして現在をモノクロにしないでほしい。脳がバグる。

オッペンハイマーがマンハッタン計画を成功させ、赤狩りに遭うまでの流れを描く。

日本で公開されなかった理由は、おそらくめちゃくちゃ原爆を作っているのに、正確には「原爆の話」ではないからだと思う。
これはオッペンハイマーを取り巻いて起こった政治の話で、原爆の扱いは「きっかけ」に近い。
織田信長を描くときに本能寺の変を外せないのと同じで、おそらくそれが原爆犠牲者への軽視と取られているのだろうと思った。
まあ、まだ原爆犠牲者生きてるからね…。
配慮は必要だったと思う。

しかして戦争を体験していないオガワにとっては大変ありがたい映画だった。
「ピカドン」と言うにはあまりにも眩しく、あまりにも轟音だった、ということを疑似体験できた。
『はだしのゲン』をあらためて読む時、この音を再生できるようになったのは、当時を想像する上で大きな役割を果たすだろう。

3月に日本で『オッペンハイマー』が公開される1ヶ月ほど前、NHKの番組「映像の世紀」は当人を取り上げていた。
時の大統領トルーマンに「あの泣き虫を2度と私の前に出すな」と言われたのは史実である。
あんな風に聞こえる距離で言われたかは分からないが、そう評されてしまった。
ただ、トルーマンにとって周りのほとんどの人間は「泣き虫」だったと思う。

最近のオガワは、精神科をかじりだしたために、ほとんどの天才性を脳機能障害にしてしまう。
劇中のオッペンハイマーもそのひとりで、最後に残った感想が「やはり脳機能障害者が鬱を併発した描写があったな…」だった。
なんとも味気ない。
他の感想だと、「核爆弾が大気に引火する可能性がある」ということに対して、「でもまあ、人間が世界を終わらせるなら悪くないか」というもの。
この2つが、オガワらしさを表す感想なのだが、身近な他人に聞かせると、味気ない上に反応に困りそうなので、今ここに書いて終わりとする。
カドクラと少し話したが、その時は「難しい」だの「核爆弾こわい」だのの話をした。我慢できて偉かった。