「どっちでもいい」が嫌すぎる

オガワ、「どっちでもいいよ」と言われるのが嫌すぎて草という話。

嫌すぎて嘘ついて食事を断ってしまった。人生で4回目!ワハハ!
はーあ。
嘘つくと自己嫌悪で凹むからあんまりやりたくない。
でも交通費と食事代しめて4000〜5000円かけて、すでに楽しくなさそうな会に行き、さらに不快な時間を過ごすような愚行はもっとやりたくない。


どうしてこんなにも「どっちでもいいよ」が嫌いなのか。

「どっちでもいいよ」は「あなたとコミュニケーションを取る気はありません」の略語だからだ。

これから飲食店でコミュニケーションを取ろうとする相手になんて言い草だと思わんか?
そんなこと言うくらいならオガワの全部の提案に「いいね!」って言ってくれ。どっちでもいいなら頼むから同意してくれ。
我々の目的はチャットでうだうだ話すことではなく、レストランで楽しくおしゃべりすることだろう?
そこを目的とするなら、例え思っていたとしても店決めの段で「どっちでもいい」なんて言うもんじゃない。
と、いうことを理解できない人間が許せんのだ。
その割に話を進めようとするオガワに「全員の意見を聞いて」とかいう無駄なブレーキをかけるし。
目的はチャットでうだうだすることではない!ブレーキかけるな!

補足として、決め事に上のようなブレーキをかける人間は「全員の意見を反映した結論」という幻想を目的にしている場合が多い。
そんなものはない。

どのみち、良い歳してそんなものはないということに気付かない人間がだるい。

オガワがそんな人間のいるコミュニティに在籍し続ける価値は無い。無駄は省かなければならない。