『ンピ死終点』【2】

2023.04.03
上記観測。
【1】にいちばんすきなシーンの話は書いたが、
オガワがいちばん興奮したのはシュライヤがニードルスと戦っているシーンの「あの男は俺が殺す。渡さん」に対する「変態野郎が…」のくだりである。

次のシーンの輝きを増すために演出された、シュライヤのニードルスの矜持へのいちばんかっこいい敗走宣言であったからだ。

ニードルスは、個人的に「相手が強すぎるから許されているストーカー」だと思った。

実は変態に「変態野郎が」と言ったところで変態は動じない。
なぜなら事実だから。人間に「人間野郎が」と言われても動じないのと同じ。
変態を「変態」と罵る時は、
変態仲間が「俺も」と続けるための前口上か、
言う側がその変態に迷惑をこうむっている時であり、他に対応策がない場合の敗走宣言だ。

シュライヤも復讐のためだけに随分色々やっていたようで、実際「俺も」の前口上的な意味も多分にあっただろうと思う。
シュライヤとニードルスは「打倒ガスパーダのためには手段を選ばない」という点で近い。
どの道、あのカットではいったんシュライヤが
ニードルスに負けたと演出された。
だからこそ次のカットが輝きを増す。

さて、ニードルスだけが変態だったかと言うとそうでもない。もう1人変態がいる。オガワの臆測に過ぎないが、
ガスパーダだ。
まあ…気付いてない可能性もあるが…
海賊という殺気に敏感な人種がニードルスの殺意に気付かないとは思いたくない。
なのでガスパーダは「自分を殺そうとしている人間をそばに置く」という変態である。
SMプレイみたいな話になってきてしまったが、
これはガスパーダの中で「自分はニードルスに負けない」という自信が無いと成立しない。

ンピ本編の作中にあるセリフで、オガワが覚えている4つのうちのひとつに「弱ェ奴は死に方も選べねェ」というローのセリフがある。
ニードルスとガスパーダの関係は、この論の一例である。
この映画の監督は尾田栄一郎ではない。
しかし確かに、たしかに尾田栄一郎の心根を汲んでいたことが、このシーンで完全に担保された。

尾田栄一郎のマインドを継承しながら、ニードルスの矜持に全く太刀打ちできないと宣言してしまったシュライヤをいちばんかっこいい演出に乗せた。
そしてその次のカットの輝きをさらに高めた。
その手腕にオガワは興奮したのだ。

若い頃の宮本充の「変態野郎が…」を聞けることもそうそう無いしな。