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今日も電車は人を撥ねる

ツイッターで鉄道への飛び込み自殺のニュースが流れてきた。毎年500人近くが鉄道への飛び込み自殺を図っているらしい。

人身事故に直面してしまった運転士さんは、多くの場合電車を運転できなくなるという。


さて、唐突ではあるがこの死を「救い」であると仮定しよう。人生にっちもさっちも行かなくなり苦しんで苦しんで苦しんだ末の自殺という選択、苦しみからの解放という見方もできるはずだ。その人間は死という一瞬の苦しみによって長い苦しみから救われたのだ。


では何故その解放の儀式に人は鉄道を選ぶのだろうか。おそらく根底には恐怖があるだろう。飛び降り、首吊り、練炭、薬物……自殺にも様々な種類があるがどれも不確定要素が多くかつ意識下で苦痛を味わわなければならないものばかりだ。


その点電車はどうだろう。「確実に」「一瞬で」殺してくれる。こんなものは世界中を探しても中々ない。


そういった意味では電車は"信頼"されているのだ。この人なら間違いなく確実に自分を殺してくれる。その安心感が人を線路へと誘(いざな)っている。

これ以上は無粋な気がしてきたので最後に一言綴って締めたいと思う。



名誉なことではないだろうか。

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