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学びはいつ得られるか

2月の交流会の後の懇親会でこんな話題が出ました。

「人生で一番の失敗ってなに?」

それから、失敗と学びについて考えることが結構あって、皆さんに共有しようと思いました。


みなさんは、どんな失敗をしたことがありますか?

遅刻?スポーツで?仕事で?家族の中で?

あるいは、大きな声ではあまり言えない失敗とか、、、笑。

最近の僕の失敗で言うと、謝った方がいい時に言い訳に走ったりとか。

よくやるんだよね、これ。気付けただけ成長した!!偉いぞ!!笑

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自分が一番学ぶときっていつかなって考えた時に、

それって大きな失敗をしたときかなって思ったんだよね。

本当はうまく行った時にも学べると一番いいんだけど、すーぐ調子乗っちゃってなかなか難しいよね。

それで改めて失敗について考えてみたら、今までは「失敗=しない方がいいこと」って捉えてたんだど、結構極端だったなって思って。

本来、起きる出来事の全てに成功、失敗、良い、悪いってなくて、自分ていうフィルターを通して初めてそれが「失敗」って認識されるんだよね。

そのフィルターの中には、自分の過去の経験とか、思い込みとか、人との関係性とかが含まれていたりして。

でも、月日が経って変化した自分がその出来事を振り返って、それも今の自分にたどり着くために必要な出来事だったな。

って思えたら、それってもう、うまく行った出来事の一部分だよね。

そう考えたら、過去に自分がしなかった方が良かったことなんてなくて、

全て今の自分をかたち造るために必要な出来事だって思えたら受け入れられるなって思ったんだ。

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それでも、失敗した自分を責めたくなる人もいるでしょ?

相手が絡むような出来事だったら特にね。

そんな人のために自分が聞いて心が軽くなったなってなったお話を、、、

生まれてくる前、人は自分が人生を通して学びたいことを決めてくるんだって。

この学びっていうのは情報、知識というよりは、経験から気づく感情とか教訓みたいな学びね。

でもこういう学びは一人だとできないから、いつか出会う他の人と相談しながら決めてくるらしいんだよね。

で、学びの中には楽しい、嬉しい、とかの学びもあれば反対に悲しい、悔しい、腹立たしいっていう感情の学びも必要なんだって。

今回は悲しい気持ち、悔しい気持ちを学びたいって決めたとして、それを誰にお願いするかって決めるらしいんだけど、

普段の生活を想像してみて、面倒なお願い、頼みづらいお願いって誰にする?

仲のいい人、信頼できる人じゃないかな?

そういうお願いを引き受けてくれる人って、本当は自分とは仲のいい魂の持ち主なんだって。

だから、まず自分が失敗って思う出来事は学びを得るために自分が起こすって決めてきたことで、

その出来事が起きるように引き受けてくれた相手は本当は仲のいい間柄だって。

これが真実かどうかは置いておいて、この話を聞いたら自分を許せたし、

関わったあの人も一瞬ですごい愛しい人に思えたんだよね。

失敗した後は、凹んでもいいし、泣いてもいいし、怒ってもいいし引きずってもいいと思う。

でも、生活は変わらずやってきて、ずっとそうしてるわけにはいかないから、そこから抜け出さないとだよね。

その時に、がむしゃらにもがく様がきっと学びなんだよね。

いつか振り返って、自分にとって必要な出来事だったなと気付く日まで、決めてきたその学びはきっと続くんだね。

あなたに失敗はありますか?

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