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世界を閉じる枠

予測する脳」で取り上げた「予測的符号化理論(Predictive Coding Theory)」によれば、わたしたちは外の世界から情報を受け取っているようでいて、実は多くの時間、脳が予測した世界を生きている。そして、予測と現実に齟齬が起きた時にはじめて人は考える(予測モデルを修正する)のだという。

たしかに、目の前の状況に対して四六時中ありとあらゆる可能性を考えていたら無限の時間がかかって身動きが取れなくなってしまう。予測モデルという「枠(フレーム)」を作ることで、その枠の中で有限の時間の中で行動が起こせるのだ。哲学者ダニエル・デネットが投げかけた「フレーム問題」(爆弾処理ロボットがあらゆる可能性を考え続けている間に爆弾を爆発させてしまうという思考実験)は、ロボットやAIだけでなく人間にも当てはまる問題であり、物事を枠に収めたがるのは「フレーム問題」に陥らないための人間の基本的な性質だとも言えそうだ。

世界を閉じる

複雑な物事を「枠(フレーム)」に収めるための思考ツールとして、世の中にはたくさんの「フレームワーク」なるものが存在する。ビジネス書を開けば、PEST分析、SWOT分析、3C分析、4P分析、5フォース分析などなど、ロジカルシンキングやクリティカルシンキングといった言葉とともに様々なフレームワークが紹介されている。例えば『グロービスMBAキーワード図解基本フレームワーク50』を見てみると、タイトルの通り50ものフレームワークが取り上げられており、しかもそれで「基本」だというのだから、フレームワークを使いこなすのはなかなか大変である。

しかし、様々なフレームワークを使いこなす前にまず抑えておきたいことは、フレームワークは「世界を閉じる」ためにあるということだ。哲学者ジル・ドゥルーズが「人は考えないですむために考える」と言ったように、フレームワークとは、考え始めるときりがなくなってしまうような複雑な状況に対して、フレームを使って「世界を閉じる」ことで「枠の外のことを考えないですむ」ようにするためのツールなのである。

もれなくダブりなく

枠の外のことを考えないですむように世界を閉じる、とは具体的にはどういうことだろう。先ほどの基本フレームワーク50で一番最初に登場する「MECE」という概念がある。「それってミーシーじゃないよね。」など、仕事の会話の中で耳にすることもあるかもしれないが、Mutually Exclusive Collectively Exhaustive(相互に排他的で全体として完全)の略で、要するに「もれなくダブりなく」という意味だ。

「世界を閉じる」ための一番単純でMECEなフレームは、「AかA以外か」というフレームだろう。例えば、「人間か人間以外か」というフレームを使うと、森羅万象、無限に思える世界のすべてを、こんな簡単な枠の中に閉じてしまうことができるのだ。

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ちなみに、映画やドラマでよく耳にする「世の中には2種類の人間がいる。〇〇な人間と〇〇じゃない人間だ。」といった決めゼリフも同じ構造を利用しているが、実はMECEになっていないことも多い。例えば、レーガン大統領はかつて「世の中には2種類の人間がいる。できる人間と批判する人間だ。」と言ったそうだ。言いたいこと(できない人間ほど批判ばかりする)はわかるし、自分はどっちだろうかと考えさせられてしまうのだが、実はよく考えてみると、批判も行動もする有言実行な人もいるだろうし、いわゆるサイレントマジョリティのようなもの言わぬ存在が見過ごされてしまうことにも繋がる。

もれありダブりあり

こんな単純なフレームに何の意味があるのかと思うかも知れないが、単純だからこそ、普段見過ごしている「当たり前」を疑い、新しい視点やアイデアを発見するのに実はとても役に立つフレームなのである。

例えば、人間を「男と女」に分けてみよう。LGBTQなどの認知が広まった今、もはやこの単純な分け方にすぐに違和感を抱く人も多いかもしれないが、かつては多くの人々がこのフレームがMECEであることに疑問を持っていなかった。(いまだにMECEという概念を説明するための例として使われることもあるし、銭湯は男女に分かれている。)

「男か女か」「行動か批判か」、一見もれなくダブりなく世界が閉じられているように見えても、よくよく考えてみるときっとどこかにもれもダブりもあるはずなのだ。そのことを意識すると、AでもBでもない、もしくはAでありBでもあるような新しい視点や発想が生まれるきっかけになる。

境界線を揺さぶる

「人間か人間以外か」といった、A or Not AのフレームはたしかにMECEではある。しかし、その境界は果たして明確だろうか?以前関わらせていただいたAIをテーマにしたNHKの番組のタイトルは「人間ってナンだ?」であったが、まさに人間は昔から様々な方法で「人間とは何か?」を問い続けてきた。言い換えれば、それは「人間か人間以外か」を分けるフレームの境界線を引くこととも言える。そして新しい視点やアイデアやイノベーションはその境界線上で生まれるのだ。高度に発達したAIやロボットは人間か?クローン人間はどうか?いやそもそも、人間の体の半分は人間ではないなんて話もある。科学にせよ、芸術にせよ、哲学にせよ、一見自明に思える「人間か人間以外か」というフレームでさえ、その境界線は常に揺さぶられ続けている。

枠を外す必要はない

これからはクリエイティブな発想が必要だ、などと言われることも多く、「枠を外せ」「枠からはみ出せ」「型にはまるな」といった言葉をよく見かけるが、今回述べてきたように、そもそも人間は「枠(フレーム)」がないと身動きが取れなくなってしまう生き物なのである。そうではなく、枠の中の境界線に目を向けてみること、AとA以外を分けているものは何かを考えてみることで境界線を揺さぶり引き直してみることが新しい視点や発想に繋がるのではないだろうか?「寛容と不寛容」や「自立と依存」など、このnoteでもなるべくそのことを意識してきた。

「わかる」ことは枠をつくることであり、「つくる」ことは枠を外すことではなく枠の中を分け直すこと、なのかもしれない。

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デザインエンジニア / Takramディレクター / 東京大学工学部卒、IAMAS、LEADING EDGE DESIGNを経てTakramに参加。ソフトウェア、ハードウェアを問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで幅広く領域横断的な活動を行っています。
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