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脚本家/映画監督の井土紀州さんから、太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました

テレビ東京ドラマ、ジェーン・スー原作『生きるとか死ぬとか父親とか』で「お茶の間の温度を変える」ことに成功した脚本家/映画監督の井土紀州さんから太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」にコメントいただきました。皆さん、熟読玩味の上、今すぐ太陽肛門スパパーン「円谷幸吉と人間」+先行シングル「東京おらんピックcw時間・場所・存在<すべて」を購入しよう!!


ロバート・ジンママンがボブ・ディランと名乗る必要があったように、小川正治には花咲政之輔と名乗る必要があった。
一九六五年、ディランがフォーク・ギターをエレキ・ギターに持ち替えた時、フォークが持っていた左翼的な政治性は、商業主義そのものであるロックに取り込まれることになり、それ以後のロックは矛盾を抱え込むことになる。
この矛盾を矛盾として体現し続けるのが、花咲政之輔であり、太陽肛門スパパーンだ。
たとえ、フリージャズやヒップホップを導入しようともその矛盾は決して解消されることはない。もしも、その矛盾を克服しえたと花咲が錯覚した時、私は花咲の楽曲にもスパパーンの演奏にも興味を失うだろう。

今回のアルバム『円谷幸吉と人間』は、円谷幸吉やブラック・パワー・サリュートなど、過去のオリンピック選手や事件をモチーフにしながら、様々な権威や権力者をこき下ろし糾弾しながら、オリンピック廃止を叫んでいる。
そして、混沌とした演奏の中から次のような言葉が不意に浮かび上がってくるとき、胸を突かれる。

アベベ ヒートリー 手をつなぎ走ろう
俺たち仲間さ ダイナマイト、どん!

ここには、勝利至上主義への根底的な批判と同時に、真の博愛精神がある。

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