季節が変わったと思うとき

私は東京生まれ、東京育ち。4〜5歳の一時期だけ、岐阜市の金華山の麓に住んでいたことがあるけど、ほぼほぼ東京で生まれ育った感じ。
大人になってから海や山に出かけるようになって、20代後半からはダイビングを始めたので海三昧になり、引き続きの興味は島になった。
環境系の仲間とも出会って、フェノロジーなんて言葉も知るようになった。横浜に住んでいる今は、葉山で友人たちがやってる田んぼに参加していることで、田んぼの中の生きものや、周辺の森に来る鳥や虫、植物で「もうこんな季節か〜」と思うことが多い。今年は少し季節が早回しだったようで、いつも「春だ〜」とおもうウラシマソウとかキブシとかはコロナのために出かけるのをためらっているうちに終わってしまった。

そう思うと、ド都心に住んでいた子供の頃は、生きものの変化で季節を感じることってあったんだろうか。小学校の頃住んでいたのは港区の白金台と三田。思い返しても、生物で季節の移り変わりを実感した記憶は薄い。夏はセミ、秋は土手の彼岸花、初秋はイチョウの落葉、冬は雪(40年前ぐらいは東京でも結構雪が降っていた気がする)……ぐらい? ツバメさえあんまり気にしていなかったのではないだろうか。

ただ、春だけは明確に「春になった〜」と感じることが多かった。
ジンチョウゲの香りが漂い始めて、少しすると梅、三田に住んでいた頃は窓の前に土手があって、そこがだんだん紫と黄色に埋められていくのを見るのがたのしかった。それは、菜の花と、紫のは……ムラサキハナナだろうか? 道端や空き地にもオオイヌノフグリとかヒメジョオンとかタンポポとかキュウリグサかぺんぺん草(ナズナ)とかが生えてきて、しゃがんでむしったりしてた気がする。

しかしなんといっても春はサクラがある。あれほど日本人が「春になった」と感じる花もないのではないだろうか。無彩色が続いた季節に突然大量に薄い紅色が現れるのだから、やっぱり心躍るものがある。
自然を意識してない人にも強烈な生物季節感を与えるのだから、サクラのインパクトは偉大だなと思う。

余談だけど、大学時代にゼミで教授が「君たちぐらいの年代だと、春になったのはなんていうか、嫌なものでしょう?」と言ったけど、精神年齢が稚すぎたわたしたちは「なんで? 春になったら冬が終わったんだからワクワクするのに」と思ったのだった。
今なら教授が言った、もやもやする青春の春、みたいな感覚も理解できるけど、その内容自体とはまったく縁遠くなってしまった。分かる頃には終わってた、という話。

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