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心の島 小笠原‐24 月の中をオオコウモリが飛ぶ

これは小笠原に通い始めた旅人の頃に書いたあまりに情緒的な散文。ポエムほざいてんじゃねぇよという声が聞こえてきそうだけど、初めてこんな風景を見たときにはつい書いてしまう、こういう恥ずかしい文を……。でも、こういう思いを持ったのも、たしかに小笠原だったからなので。というわけで載せてみた。読み飛ばししてくださいっ!
※上の写真にはオオコウモリは写ってません……あしからず。


小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。


まだ旅人だった頃。小笠原を訪れて何回目の時だったか、宿を抜け出して海が見渡せる崖に行ってみたことがある。
誰も見ていない海に、白い月の光が差し込んでいる。100メートルの絶壁から聞こえるのは打ち寄せる波の音だけだ。
海は漆黒よりはやや薄く、水平線あたりに白いもやをまとっている。天空に、完全な満月が放つ、強いけれど柔らかい光があって、黒い海の表面に、白い影を作っている。
月の光は、数キロ先にある島を黒く浮かび上がらせていた。その島には、誰もいないし、誰かが今まで住んでいたこともない。今ここには私だけ。他の誰の思いもない。

「また、こんな景色に出会ってしまった」という思いがあった。日常の中にふっとまぎれこんでくる、地球がかくし持っていた秘密に出会ってしまったという思いがする。
ここには、古代の人々の記憶が刻まれていない。奄美や沖縄で感じるような、昔の人々の祈りが土に染み込んでいない。人間がこの土を踏んでまだ300年あまりしか経ってない上に、領有権争いや戦争などで幾度も島の歴史は中断された。だから、この風景は、いつでも原初そのままの輝きに感じられるのだ。
 
中空に雲の山並みが見える。夜なのに、月明かりに照らされた雲が輪郭をはっきり見せている。この、黒い海にできた、白く輝く月に続く影、こんな美しさにこの先出会うことがあるだろうか。

突然、その白い影の中に、黒い大きな影が横切る。
「何?」口に出して、驚きを抑えてみる。
風に乗って、崖の上の、険しい岩の上にあるリュウゼツランから粉のように流れてくる甘い匂いが鼻につく。
2度目ははっきりと姿を捕らえることができた。白い大きな月のなかに、映画で見たようなバットマンマークがくっきりと浮かび上がったのだ。オガサワラオオコウモリ!
そういえば、リュウゼツランの花の蜜は彼らの大好物だと聞いたことがあった。
彼らは超音波を使わず、目で見える範囲を飛び回る。この明るい月は彼らの進む道をはっきり照らしているようだ。
小笠原に人間がたどり着くずっと前、この島の哺乳類はオガサワラオオコウモリだけだった。彼らにしたって、なぜ、先祖がこの島にやってきて定着したのか誰も知らない。エサやすみかを求めて、小笠原からグアムまで点々と連なるマリアナ諸島を渡り継いできたのか、それとも天変地異レベルの大台風や竜巻に巻き込まれて否応なしにやってきたのか。

彼らは語らないし、私たちも知らない。でも、今、彼らはここにいる。だから想像してしまう。
もしかしたら……ある夕方に、彼らの中の、冒険心にあふれた何頭かが、
「行こう、新しい場所へ!」
と決意して、飛び立った。行く先に食べるものがあるか、どのくらい飛べば次の島が現れるのか、知らないままに大海に飛び立った。
その夜にも、今日みたいに白く明るい月が、彼らの行く先を照らしていて、それに従ってきたら、たどり着いた。
食べものも、暮らすのにちょうどいい森もある。飛んで飛んでたどり着いた先には、たくさんのタコノキの実や、ヒメツバキの花や、リュウゼツランの蜜があった……。

そんな空想を崖の上でしていた。
遠くから、オガサワラオオコウモリの「キャキャキャキャキャ」という声が聞こえてきた。

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