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龍神靈氣読本は毎週月曜更新します

世界同時瞑想がSNSを沸かせた4/5。
参加された方は一体どのくらい、いらしたので
しょうか?
個人的には、同時瞑想には反対の姿勢を
取っています。
それは、「オープンスペースですることでは
ない」、という意識が強いから。
龍神靈氣には、原典となる理論を教授して
くれたある組織があります。
最も、わたしはこの組織で教授されている
靈氣を研究しようと研究会を創り、師範から
おとがめをうける、という経験があるため
原典を独自に研究し改良しているため現在
まったくの別物となっています
が。

わたしが独立した組織がどこであるかを調べて
「こんなふうに言ってましたよ、先生の話と
 違うね」と言ってきた生徒さんもいますが。
それを信じたいならそちらに行けばいいのに、
と、心の底から思います。
同時に何かを知らないもの同士がするってことは
そういうことなのです。
結局、どの選択をするのかを自ら複雑に
するようなものであるということ。
それを選べればなにも言いません。
でも、それができないから稽古にくるのだと
思っています。

靈氣には「集団遠隔」「集中療法」という
手法があります。
この方法は、療法としては大変有効な代わりに
諸刃な一面があり、かつてこれを悪用した
生徒さんがいたことでわたしは査問に近い
扱いを受けたことがあります。
結果これが独立へのトリガーとなるわけですが
現在龍神靈氣の伝授ではこの事態を講座内で
語り継ぎ、戒めとしています。

人間のエネルギーは、混ざりやすく染まりやすい。
それは人体の7割が水分であることを考えれば
想像しやすいことやと思うのです。
だからこそ、誰と気を交わらせるかはとても
重要。
ある一方向に多数の人が意識を向ける同時瞑想は
ある種の遠隔的作用を生むエネルギーの渦を
作る作業。
その渦を誰がなんの目的でどう使うのか。
そこで自分が背負う責任はいかほどのものか。
それをよく、考えて欲しいと思います。

靈氣に於ける遠隔は、タイムマシンを体内に
所有するのに近いです。
だからこそ、この感覚を厳しくお稽古で
反芻していきます。

大いなる力には、大いなる責任が伴う。

それが嫌なら、力は望まないこと。
それは、代償ではなく対価という感性を
どれくらい自らに教育できるかという
ところから試していくから。
「自己教育」、これは令和時代の大切な
キーワードになると思っています。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。