見出し画像

100年経てばアプデされるんじゃなかろうか

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新しています。西陣の拝み屋は16年前に湘南で産声を上げました。最初の屋号は「幸の森」といいました。臼井式霊気古参一門の分家に入門し、大人の事情で本家に移管、そこを独立し、現在に至ります。ただし、大人の事情で独立したとき幸の森は死んで、わたしも廃業したことになっているようです。

生徒さん調べ笑

黒いダイヤモンド並の生命力で蔓延っていたわたしの靈氣は、これまた萬屋銀ちゃんばりの品のなさで復活します。2015年春のこと、この時点ですでに独立から4年、震災ダメージで屍化してから2年半が経過していました。そしてその年の冬、四条大橋の啓示が下りるわけです。そこからもがいてもがいて更に3年目に入る春、ようやく京都に上洛。西陣に秘密基地を構え、西陣の拝み屋が誕生しました。そしてその年12月、導かれるように龍神靈氣を発表、公開伝授を始めてきたわけです。

都ってとこで暮らしてますと、100年はつい最近に感じます。なにせ3桁代の時代の文化を伝承している街です、1200年とか1300年前とか、650年続く、みたいな話しがザラに出てくる。そして共通しているのは時代に沿うよう変形させている。これ、簡単なようで実はものすごく大変です。なぜなら形ではなく、想いを読み取らねばならないから。想いを残し形を変える、それができるのが都の凄さであり、実力なんやとこの5年でようやく理解できました。とはいえまだまだ、見えたに過ぎず、それを体得するなんて、当面無理やろうと思っています。ちっさいときから都式でお育てされてきた人たちに育てる側の年になってから混ざる大変さを痛感しつつ、それでも微塵で構わないから知りたいと思うわたし。その先にしか臼井式靈氣の伝承をしていく道がないように思えるからです。

臼井甕男先生が日本で初めて靈氣を体得されてから、来年で100年を迎えます。4年半の活動時期を考えればもしかしたら、もうすでにあと半年くらいで「100」と針が指すのかもしれません。そんな靈氣が100年前と同じ姿で現代に通用するなどと、わたしには到底思えないのです。コロナ襲来の現代、もし臼井先生がいらしたら、どうされたかな。医療従事者を多く門人に抱えさせて頂くいま、そんなことを考えます。祈祷師として毎日サテライト遠隔をアップデートしながら、強く思うのです。

明日のことは、誰にもわからない。知っているのは神様だけ。ただ、起きたことを見えない世界的に解説することは、どうにかできるようにはなった。学問てものはいつも、後手に回ることでしか力を発揮しない。だからこそ、それを知恵に変える力が必要なんだ、と。

知恵を育てられる後進がいつか、世に出現する。それが臼井甕男先生の願いだったことを示すのが一等空位の椅子だと思う。その想いにどう応えていくべきか。龍神靈氣開祖を名乗るわたしの命題はこれやと信じているのです。

画像1


日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。