靈氣は、科学か、それとも……。

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新します。
今週は更新日に更新したものの、公開は火曜になっちゃいました。

東京五輪「オリ」が終わりました、残すは「パラ」です。
どちらも無事に終わってほしいです、出身地であり、40年は暮らした神奈川の惨状は見るに耐えない。
家族も住んでいますし、電車男の事件も起きたし、なんかもう350km離れた個所から東を眺むるに不安しかなくなります。
そうこうしているうちに、外が結構な雨になっていて、窓に吹き付ける風で「あぁそうだった、これから京都は暴風域に入るんだっけね」とかって現実に気が付くわけですけれども。
台風一過の今日はすっかり秋の気配でした。

思い込みは、なぜできる。
五輪と全く関係ないこんなことを、五輪の間考えました。
この時期に五輪が安全にできると思った、それを一つの思い込みとするなら、「できるんだよ!」と思っている人たちから見たら「そんなことしたら医療崩壊するだろう!」と言っている側はできないと思い込んでいる人たちです。
これを科学的には「観測点」と呼びます。
どちらの観測点から、そのものを眺めているか。
そこが違ってしまうと、もうどんな論理も結果的にかみ合わない瞬間が出てくる。
湯呑と茶碗をみながら、焼き物の話をするようなものだから。
哲学の辿りつく先は結局神学なのですが、そう思っていない人たちがいかに多いかってことを、今回のライオンズゲートでは気が付かされた気がしました。

伝統靈氣の世界で言われてきたことに「いつかは時代が追い付いて、靈氣の存在が世に証明される」というものがあるのですが。
どうやらそんな日は、臼井先生没後100年が過ぎても訪れてはいないようです。
ただ、後継者として現代で靈氣を実践するすべての人が、靈氣は科学なのだよ、という意識を持ったら、何か変わってくるんじゃないかと思うことがともてあって。
だからこそ、わたしは「左脳系」と呼ばれる道を選び、そこを全うしようとしているのかもしれません。
本当に魂のことをやりたければ、科学(現実)と精神世界を統合するしかない。
なぜなら神とは、その二つが統合し、人格化した存在だから。
もうすぐライオンズゲートは閉まります。
その前に、少しでも歩みを進めたい。

あなたにとって、靈氣とは科学ですか?
それとも……。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。