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気の巡りは、すべての巡りの源

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新します。

臼井靈氣は、「氣」を扱います。
いま世界にはさまざまな靈氣があり、その先生の考えによりさまざまな伝授法があります。
これがいい、とか、これはだめ、みたいなことをおっしゃる方もいますが、個人的には氣=周波数なので、好きな周波数帯に行けばいいんじゃない?と思っています。
とはいえ、自分も指導者である以上指導方針があるわけで、それをねじ曲げてまで指導するのは違うんだよね、と思うわけで。
なにより、そうしないと指導になりません笑
指導とか、師事ってことについて、言及したことはあまりなかったけど、そこに対し言及していかねばならない時代が来るのかな。
そんなことを、最近は思ったりします。

臼井靈氣伝承者だからこそ、臼井靈氣以外のやり方で「氣」を扱うものを学ぼうとする節があります。
例えば養生学、漢方の視点から見た気虚(気のたりない状態)改善のシステムや、武術からみた覇気のコントロール法など、一口に「気」と言っても東洋領域には色々なタイプがある。
それを組み合わせて新たな理論を作り、自らの臼井靈氣を成長させていく。
それが生涯療法家を辞めない、と決めた指導者が歩くべき道のような気がします。
理解されてもされなくても、そうしかできない。
その結果、わたしの何かは変わり続けるわけですが。
それについて来れなくなった人から、かつてわたしがそうしたように離れていくのだろうと思うのです。
それを昔の人は「気が合わなくなった」と言ったのじゃないか、と。

東洋で言われる気血水、この巡り始めは「氣」です。
自分が持つ氣をどう循環させるか、最後はそこに行き着くのだなあ、と。
人は出したものが還ります、だとしたら、そこにどんな痛みがあろうがそれは自分がしたことなのだろうな、と。
だからこそ甘んじて受け止める、その後どうするかは、そこで決めたらいいことだから。
氣は、要。
受け止めたものを咀嚼するにも必要な氣(エネルギー)って絶対にある。
だからこそ、巡らせ方が大切なのだろうと思っています。

貴方は、どんなふうに氣を巡らせていますか?
その巡らせ方を変えると、すべての巡りが変わっていくことをご存知ですか?
臼井靈氣を伝えながら、そんなこともお伝えできたら。
そんな風に思っています。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。