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失くしたら、蘇らせるのは大変

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新します。
臼井靈氣は、まもなく生誕100年を迎えます。
開祖である臼井甕男氏は4年半の活動でこの世を去られました。
禅僧であった臼井氏からみたら、その後の靈氣の広がり方には、もしかしたら眉をひそめる部分があるかもしれません。
反対に予想を超えた広がり方に喜ぶ部分もあるかもしれませんが。

神奈川で臼井靈氣の術者となり17年。
師範となり15年目を迎えます。
京都に来るまで継承とか、伝承とか、まったく興味がありませんでした。
しかし、最近ある記事をきっかけに意識が変わりました。 
国内最大級の三味線メーカーの廃業、三味線は京都にいると、文化的に必要なものという意識を持ちます。
花街があり、芸妓さんたちには欠かせないもの、という意識だからかもしれません。
当たり前にそれがある時代は終わりを迎えようとしている。
そんな危機感を、肌で感じました。
2年前から謡を、半年前から仕舞も手習で始めましたが、まあ難しいのなんの。
靈氣も、本来は同じなのだろうな、と思います。
ましてや、靈氣にはテキストがありません。
扱うものが人の人生だから、当たり前と言えば当たり前です。
臼井甕男氏が「臼井靈氣必携」しか残していない理由が最近よくわかりました。
残していないのではなく、残せないのです。
体感覚で会得するしかないものは、書き残せない。
身体で伝えていくしかありません。
身体で伝えていく文化は、一度潰えたらもう戻りません。
そのくらい、見様見真似ではたどり着けない領域がある話なのです。

臼井靈氣には、幾つかの奥義があります。
アレンジ自在な代わりに、いじり過ぎればもはや、臼井靈氣ではなくなります。
100年前、京都で発見された臼井靈氣。
そのエッセンスと、あまり知られていない奥義が途絶えないように。
継承できる立場として師範をいただいたわたしは、伝承することを頑張りたいと思うのです。


日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。