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「大上の手当てを受けよう」
治癒の世界は
僕が手を当ててから
始まるのではない。
治らないかもしれない。と弱気になる自分より
僕が手を当て
自分の肉体から治る力が湧き上がり
治り癒えていくことをイメージし
期待する自分の方が上回って
「大上の手当てを受けよう」
と決めた。
手当てを受ける
という現象・結果を生むより
よっぽど先に
治ると信じる自分が
弱気な自分に打ち勝ち
僕に会いに行こうと決断し行動した。
そして
ただ歪んでいる…のではない「生き抜く表現」である
嬉しい時に立ち上がってガッツポーズをする
悲しいことが起こると背中の力が抜けてうなだれる
心の動きは一瞬で身体に表現される。
分かっているようで忘れられています。
右前にいる誰かが怒ってきた。
右後ろから犬が追いかけてきた
左手をドアに挟んだ
左側に苦手な人が座っている
嫌な出来事の全ては真正面から起こることはありません。
そしてその真正面ではないネガティブな出来事は
症状は意識にのぼる“形”になった結果
いつも思うんです
症状は意識にのぼる“形”になった結果である。
結果として認識されるよりずっとずっと前から
肉体内で原因となるさまざまな要素が水面下で渦巻いている。
同じ考えをより広い視点で考えてみてください。
“私”と思っている肉体すら形になった結果でしかない
ということ。
もうすでに結果なんですね。
“私”を生み出すに至った、生かされ続けている
という想像を絶するほ
いのちは連続している
聴こえる 心臓が躍動する音が
聴こえる 血液が巡る音が
聴こえる 空気が気管を通る音が
聴こえる 肺が酸素交換する音が
1つの命
いったいそれはどれだけの
想像を超えた世界の中で守られているのだろう
1つと思っている命
何十兆という細胞一つ一つがそれぞれの命として生きている
そして宿主の“生きる”という約束の元に
総動員で手を取り合い
まるで肉体に1つの命が宿るかのように”見せてく
自分では知りうる限界がある
自分では知りうる限界がある
そこを気づきを与えられる存在であれたら。
一つ一つ素敵な波紋が
ふれる ふるえる
これは治療に限らず人間関係においても。
そして逆に僕自身
自分にはないもの、気付かないままの大切なもの
それは人との関わり合いの中でしか
やはり教えていただけないこと。
治療は
言葉を超え
『お互い』
気づかせていただき
学ばさせていただく
そこにどっちが偉いとかすご
命があなたを生きている
命があなたを生きている
その命は壮大な何かに生かされている
命はあなたを生き
あなたを通して生かされている
生きててくれてありがとう
生かしてくださりありがとうございます。
今日も喜びでいっぱいの朝。
今日もみんなの1日が
喜びと感動で溢れますように。
ふれる
ふるえる
こころふるえる
おもいあふれる
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Nちゃん経過シリーズ
#Nちゃん経過シリーズ
大上徒手医学研究所のアイドルNちゃん
来てくれたよー^^
Nママの撮る写真はいつも秀逸やわ❤️
つかまり立ちもいよいよ立たせたとこから、できるようになってきてるよ!
確実に座っている時の体感から足先までの身体の流れ
その上での上半身、腕との調和・連動の仕方も見事なほどのまとまりになってきてます。
可能性は無限大ですね。
誰が決めた
『
あなた自身がいた、という事
今日という1日はどんな日でしたか?
当たり前だと思っている出来事が
どれだけたくさんの要素が関わって
完成しているか。。
当たり前は
全てすごいことだらけ。
そして忘れないで
たくさん要素が奇跡のように集まった1日を
いつものように
感じて
見て
嗅いで
触れて
そこにいて
生き抜いてくれた
あなた自身がいたと言うことを。
周りに、様々な出来事に、感謝する。
と同