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【無料】嘘つきは通訳のはじまり〜ウソとホラの違い〜

言葉は、思いや文化、時には魂をも繋ぐ架け橋だと思います。
バレーボールのコーチをしていても強く思います。言葉は魂です。しかし、ほとんどの方々は、それを日々の生活で感じる機会は多くないかもしれませんが、国境を越え、文化の壁を乗り越える際、言葉であるその架け橋の役割は計り知れないものがあります。
特に、言葉の達人たる通訳者は、ただ単に言葉を訳すだけではなく、その背景にある意味や感情までも伝える言わば芸術家です。私が代表を務める岩手県紫波町のオガールプロジェクトは、2007年の立ち上げから数え切れないほどの支援と励ましを受けてきましたが、そのお一人「田丸公美子さん」という特別な方との出会いは、私にとって忘れられない恩を感じている方ですし、田丸さんとの出会いは間違いなくオガールのエポックです。

田丸さんは、日本史上最高のイタリア語通訳師と称されるほどの人物です。ベルルスコーニ元イタリア首相が来日した際には「オレは公美子の通訳しか受けない」と公言されるほど、その通訳の才能は世界的にも認められ、日韓ワールドカップではイタリア代表チームの通訳として、また、日本で初めての本格イタリア語通訳者としての活躍は、多くの人にとって伝説的なものなんです!しかも、田丸さんはシモネタが大好き。通訳仲間から付けられたニックネームは「シモネッタ」、、もはや神です笑

田丸さんとの食事を通して、私は通訳の世界における深い知恵と哲学を垣間見ることができました。なんと言っても表現の豊富さです。そして、特に、田丸さんが通訳のコツとして語った「わからない時は自信を持ってウソをつくこと!」という言葉は、笑ってしまいましたが、確かになぁと思うのです。言葉の持つ力、そして通訳者の役割について深く考えさせられるものでしたね。田丸さんの言葉は、通訳が単なる言葉の翻訳者でなく、異文化間の橋渡しをする際の創造性と機知に富んだ役割を担っていることを示しているし、発言者の意図を如何に伝えるかを常に考えなければならないのです。つまり、咄嗟にウソをつくクセがついてしまう職業なのかもしれません。
田丸さんは、日常においてホラはついてもいい、なぜならそれは人を幸せにするから、でも、日常でウソはついてはいけない。ホラとウソの境界線をわかってこその通訳者なのです!

このnoteでは、田丸さんとの出会いを通じて学んだ、言葉と通訳の持つ奥深い世界について探求します。そして、通訳が時に「嘘つき(ホラ吹き)」であることが、実は深い理解と尊敬に値する芸術性と職業倫理の表れであることを、紐解いていきたいと思います。通訳者の役割に対する従来の見方を変えることで、言葉の架け橋が持つ真の価値を再発見というか再確認しましょう。

田丸さんの話は、一見すると軽い冗談や愛らしい家庭内のエピソードのように思えますが、実はそれ以上の深い意味を持っています。田丸さんの息子さんが小さなウソをついたときに、「ウソつきは通訳の始まりよ!」と言ったそうですが笑、これって、通訳という職業が持つ複雑さと、言葉を扱う者の倫理的な責任について、遊び心を交えておしえているんだなぁと。息子さんがその言葉を聞いて通訳になることをそもそも思ってなかったという話も、付け加えておきますし、この息子さん、とても優秀で東大2年時に司法試験を合格し、法学部長賞を受賞し外資系の弁護士事務所で活躍、そのご、東大の同級生と株式会社メドレーを立ち上げ上場させました。

話は戻りますが、この話の背後にあるのは、通訳者が持つべき倫理観と、その責任の重さに関する深い洞察です。通訳者は、言葉だけでなく、文化や感情、意図をも翻訳し、伝える役割を持ち、その過程で、どうしても彼らの解釈や判断が入ることがあります。そこには、常に真実を伝えるという倫理的な義務が伴いますが、田丸さんのエピソードには、その線引きの難しさや、時には「ウソ」を伴うかもしれないその複雑さが含まれているように思えます。

現在、日本中を騒がせている世界的に有名になってしまった通訳者水原氏の話は、この問題をより深刻なレベルで示しています。大切なクライアントにウソをつき、大きな悲しみを与えたという事実は、通訳者としての職務における信頼と倫理の重要性を浮き彫りにします。このような行動は、通訳業界全体の信頼を損なうことにもつながり、倫理観を持って職務を遂行することの大切さを改めて私たちに思い起こさせます。

「ウソつきは通訳の始まりよ!」が現実になっているのです。。。

田丸さんのエピソードや現在の騒動は、通訳者にとっての言葉の力、信頼の重要性、そして職業倫理が如何に重要かを教えてくれます。このような話題を通じて、私たちは言葉を扱う者の責任と、その影響力の大きさを再認識することができるのです。

水原氏の件は、通訳者の役割に対する深い誤解と期待の裏切りを示しているとも言え、通訳者として、特に公の場で影響力のある人物や、国際間の架け橋となるような状況で働く際には、その責任は計り知れないものがあります。クライアントの言葉を正確に、かつ感情や意図を適切に伝える能力は、優れた通訳者の最も基本的な資質です。しかし、それには高度な倫理観と、自らの行動が及ぼす影響を深く理解していることが前提となります。

大谷翔平選手のような公的な人物の通訳者として働くことは、特に高いレベルの緊張感と責任感を要求されます。そのため、クライアントを支え、その言葉と意志を正確に伝えることは基本中の基本であり、クライアントを貶めるような行為は、通訳者としての職務違反に他ならず、通訳者の地位を下げる行為でもあります。

水原氏の行為に対する反応は、通訳者に求められる倫理観の重要性を再確認する機会を提供しています。通訳者は言葉の専門家でありながら、同時にその言葉が持つ力を扱う者としての自覚と責任を持つ必要があり、この事件は、通訳者が持つべき矜持とは何か、そして彼らが社会において果たすべき役割がいかに重要かを、広く社会に問いかけるものとなりました。

結局のところ、通訳者は単に言葉を翻訳する機械ではなく、異文化間の理解と尊敬を促進する重要な役割を担っています。その役割を全うするためには、優れた言語能力だけでなく、高い倫理観と、自分の行動が及ぼす影響を深く理解し、尊重する心が必要です。

私も、官と民の架け橋として信用される通訳者でいたいと強く感じた事件でした。

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