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サッカーと人 ①

こんにちは。

梅雨らしい梅雨を感じることのなく、初夏を棒読みして夏本番に差し掛かってきた。

先日、9000円のサーキュレーターを購入したのだが、これがかなり有望で機能的である。

これをつけて寝ると、「ちょっと寒いぐらい」が実現する。
僕はちょっと寒いぐらいで布団をかぶって寝るのが好きだ。

共感してくれる方はいるだろうか。

さて、今回は、

「サッカーと人」

について、少し書き残そうと思う。

そもそも、僕は父親の影響で幼稚園の頃にサッカークラブに入団した。

今でも覚えている。それは正式にサッカーとは呼べないものであって、

ただコーチがボールを天空に蹴り上げ、
ちびっ子である僕らが一つのボールを追いかけ、奪い合い、一つのゴールにシュートする。

というものだ。

これはいわゆる個人戦であり、そこには魂の削り合いがあり、小さなプライドがあり、大きな喜びがあった。

この時、僕にとっての自我が形成されたのだと思う。
そして、この先サッカーとの長い旅が始まろうとしていた。



 サッカーがチームスポーツと認識したのは小学生の時だ。
市の弱小クラブに入り、365日ボールと共に生活した。

今現在、親友であり幼馴染とも呼べる3人の腐れ縁を築いたのも小学生低学年のときだ。
(背番号5、背番号2、そして僕が背番号10)

周りのチームメイトが、この腐れ縁3人組のレベルについて来れないことは確かだった。
どうしてついて来れないのか、当時の僕らには理解ができずにいた。

やがて高学年になり、市選抜の活動が始まってからは次第に本来のチームを軽視し、自分のキャリアや自分のスキルアップにばかり重点を置いていた。

もしも僕が当時の僕に会えたなら、

ナンバー10がそんなで恥ずかしくないのか。

と叱るだろう。県大会本戦にでれる実力はチームにはあったはずだ。

 小学6年に特別な経験をした。
市で2名選出され、県の大きな会場で東西戦として試合をした。

ここでも後悔が一つ。

僕は西軍の背番号9をつけたのだが、
他のチームメイトに遠慮をしてセンターフォワードのポジションを譲る。

結果僕はLWGに。センターフォワードの彼は点を決めてヒーローインタビュー。

決めた彼は、中学、高校でも全国的に名前の知られる選手に。
現在でも大学のスタメンとして活躍している。

その時の僕にいいたい。

ナンバー9が遠慮気味で情けないな

そして、もしここで点を決めていれば少なくともぼくのサッカー人生は大きく変わっていたのかもしれない。


 中学に進学する際、腐れ縁と技術的精神的遅れをとった僕は彼らとは違うクラブチームへ。
(彼らは同じチーム)

このチームのスタイルはドリブル。

パスが得意な僕は、このスタイルを受け入れるのに時間がかかった。
どう考えても合理的ではないサッカーをする。
そのことについて当時は疑念を常に抱いていた。

長所のパスが活きない。

何故、そこでドリブルするんだ。

全く勝てない。

しかし、チームの方針は

個人的な技術や創造性の育成

を掲げていた。つまり、ジュニアユースでの成功体験が全てではなく、ここはあくまでも通過地点であり、基礎技術の構築と創造性を磨くことにウエイトを置いている。

ということだ。

たしかに、テクニックやアイデアは磨かれたし、ここでもかけがえのない人間に出逢うことができた。

その1人は今年からJリーガーになる。

日の丸を背負う日もそう遠くないと思う。

現在彼は、スピードを武器にしているが、当時はとんでもなく足元の技術に長けている選手だった。
視野が広い上に、ゲーム全体をコントロールし、闘争心があり、常にクレバーだった。

サッカーに対してストイックで、
オンとオフを切り替えられる選手だった。

一緒にサッカーをしていても、自分はこのレベルに到達することができない。と思っていた。

他にも2人、このチームで出逢っていまでも親しい友人がいるのだが、

2人ともそれぞれ違うスタイルを持っていて、
お互いに尊敬できるところが沢山ある。

思春期を共に過ごした彼らとは今後も長い付き合いになるだろう。

 最後の大会では、大きな挫折もあって。

自分のせいで関東大会に出場できなくなってしまう。
一発レッドカードのうえ、PKを献上。
未だかつてない屈辱だった。

絵に描いたようなドラマ。
その悪役になったような気分だった。

何故、自分だけが、、。
何故、この瞬間で、、。

サッカーの神様に、
サッカーをやめてしまえ。といわれているようだった。

目の前が真っ暗になるとはこういうことか。

責任を強く感じた。

ただそんな過去があったからこそ、自分のサッカー人生を語れる。


 高校サッカーが自分のキャリアの集大成となった。

なぜそうなったのかは自分でもわからない。

気がついたらプロになることを目標としていなかったし、
何故サッカーを続けているのかわからない時期もあった。

自分より才能のある人間が沢山いた。

自分より、より高いレベルを求めている人間が沢山いた。

そんなことを考えている落ちこぼれの高校生だった。

この県立高校は
とにかく走る高校だ。

走らなければ負け、走れなければ試合に出ることすらできない。

僕が3年間でそのスタイルを好きになることは決してなかったが、そのサッカーは見てて爽快感があり、気迫を感じた。

人々を魅了し、ワクワクするようなサッカーだった。

僕は誰よりも多くのポジションを経験した。

あるいはどのポジションも器用にこなした。

希望通りのプレーはできなくとも、走り続ければ評価された。

ちなみに、小学のときの幼馴染背番号5は同じ高校で背番号1GKに変身していた。
彼は手足が長く、情熱的なプレースタイルだ。

戦術は1パターンだけだ。

サイドバックがオーバーラップしてクロスを上げる。

もしサイドが使えないのならフォワードに蹴れ。おもいっきり。

といったところだろうか。

3年の春までボランチだった僕はある練習で右足を怪我した。完治まで数ヶ月かかるため、逆利きの左足を練習した。

気づけば左足のキックの精度は向上し、右足よりも左足で蹴ることを好んだ。

それと、他のチームメイトよりも若干走れたため、左サイドバック候補となり
いきなり初秋のリーグ戦で起用された。

最初は、本当に嫌だった。

何故1番きついポジションを任されなければならないのか。
ずっと走ってるだけのポジションじゃないか。

と。

しかし、僕はこのポジションで少なくともチームに貢献できた。

自分が走ることでそれがチームの武器になりうる。
いいクロスを上げて点が入れば最高だった。

自分が主役じゃなくとも、チームの勝利に貢献できればいい。

そう思えるようになった。

いつしか、チームの重大なポジションを任されていることに誇りを持って試合することができた。

最後の選手権では、悔いの残らないプレーをした。し続けた。
とにかく走って、

コーナーキックを蹴り、

果敢にオーバーラップをして、

クロスを上げ続けた。

結果負けてしまって目標には到達しなかったが

ここに、後悔はない。


あのタイミングで怪我していなければ、
左足を練習しようと思わなければ、

このような経験はできなかったかもしれない。


高校のチームメイトとは今でも良好な関係を築いている。
やはり、苦しい時期を共に乗り越えた仲間の絆は深いようだ。

高校の友人が2人、大学サッカーにチャレンジすることになった。

かつて背番号5の幼馴染GKと、

センターバックながら背番号10をつけたテクニシャンだ。
彼が何故センターバックをやっていたのか今でも不明だが、
おそらく高校1のテクニシャンだ。
まるでイニエスタのようなしなやかなドリブルとパス、シュートも技術が高い。
一見遅く見えるプレースタイルも
相手を惑わすため。と彼なりのリズムがあるそうで。

 僕は大学サッカーではなく、社会人サッカーチームに入って、サッカーを続けることに決めた。

そこは、中学で所属していたクラブチームの社会人カテゴリーであり、大学1年の時に創設され、一期としてチームを作り上げた。

最初の練習は5〜6人。

正直、熱は入らない。
週2の活動は、中学の頃の昔話や近況を話して終わりなんてこともしばしば。

僕はサークルでサッカーをすることは絶対にしたくなかった。
僕にとってサッカーは今までもこれからも遊びではないから。

もちろん、遊びではないサークルもある。

が、やはり少しレベルの高いところでやりたいのは正直なところだった。

この社会人チームでは、

人のつながり

をとても強く感じた。

誰かの知り合い、またその知り合い。さらにその知り合い。といった感じでみるみるメンバーは増えた。

僕も実際に、幼馴染背番号2の親友を誘い、
約6年ぶりに一緒にプレーをした。

ここでのサッカーは今までの違った楽しさがあった。
やはり楽しくサッカーをすることに越したことはない。

ただ、何か足りなかった。
足りないと感じているのはぼくだけかもしれないが。

それが練習の激しさなのか、クオリティなのか人数なのかはわからない。

もし、大学でやっていたらどうなっていたのだろう。
と考える時もある。

もしここのチームメイトが社会人になってもサッカーを続けたいというのであれば、僕も全力で取り組みたい。
本気で取り組むことを楽しみたい。


 こんな具合に僕のサッカー人生は進行している。

たしかにこう見てみたら、失敗ばかりだ。
あるいは後悔があり、できるなら戻りたいと思っている。

しかし、このサッカー人生で得た大きなものは1つ。

人とのつながり

である。

サッカーをやっているだけで会話が弾むことがよくある。
これまでサッカーをやってきた人間に対して不信感を抱いたことはない。

僕らはたまたまそれがサッカーであって、
野球やバスケ、音楽や美術。なんだっていい。

魂を注いできたものには、その過程やその先に

必ず人との出逢いがある。

サッカーと人。

これまで出逢ってきた大半の人間がサッカーをやっている、あるいはサッカーが好きである。

改めてサッカーをやっていてよかったと思う。

これからも、足が動かなくなるまでサッカーはやりたい。

そうそう、サッカーをやっていたからこそできた親友がいる。
彼とは遅めの出逢いだったが。

先程紹介した背番号10(イニエスタ)とは高校が同じなのだが、彼はその幼馴染である。

サッカーが取り巻く縁というものは不思議なもので、
その彼(写真家背番号6と呼ぼう)と、中学の時に同じチームだった親友(サーファー154番と呼ぼう)が同じ高校という。

複雑だが、どこかで必ず繋がっている。

このコミュニティを作れるのがサッカーの魅力かもしれない。

写真家背番号6とは現在同じアルバイト先で、バリスタをしている。

次回は、コーヒーと人

でも書こうかと思う。

では、また次回に。


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