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【毎日投稿】プロゲーマーに試合外の「心・技・体」を求めるのか【3分記事】

今回は何故、プロゲーマーがスポーツアスリートのように、魅力的に映らないのか?というお話です。私の現在の考えとしては、プロゲーマーには「心・技・体」のうち「技」しか備わっていないから、です。

実際、プロゲーマーの「技」は申し分ありません。では「心」はどうでしょう、なんかTwitterで炎上したり、過去の発言でプロを取り下げられたり、配信や大会での不適切発言、精神面がイケてる感じはありません。「体」はどうでしょう、なんかずっと同じ姿勢だし外出ないし不健康そう。。。かなり雑なイメージですが、これぐらいの雑なイメージこそが大衆の感覚です。

ちなみに、ここまでの話で「心技体」の定義に違和感を持った方も多いかと思いますが、実際のところ「心技体」の本来の意味は、その競技において最大限のパフォーマンスを発揮するための3要素なので、競技外における「心」(発言、態度等)や「体」(健康、たくましさ等)の良し悪しは参照されないはずです。つまりプロゲーマーは、そのゲームの試合に勝つために必要な「心技体」さえ手に入れておけば、試合外で不適切発言をしようが、眼精疲労になろうが、選手としての資質は十分なのです。

心技体(しんぎたい)とは、心(こころ)技(ぎじゅつ)体(からだ)全てバランスが整ったとき、最大限の力が発揮できるという教訓のこと。
スポーツや武道の世界でよく使われる言葉です。 英語でいうとメンタル、テクニカル、フィジカルです。

しかし恐らく、スポーツ&eスポーツともに、受け手(お客さん、ファン)は勝手に「心技体」を拡大解釈しており、スポーツ選手は厳しい訓練を経て、優れた「技」をもった人たちだから、きっと成熟した「心」と生命力溢れる「体」を持っているに違いない。という理想像を作り上げてしまっています。

これは受け手の勉強不足や勘違いではなく、スポーツの在り方がそうなってしまったからです。スポーツがビジネスとしてなりたつためにはスポンサーが必要であり、メディア露出の高い人間は人々の模範にならざるを得ない、そのためにはスポーツ選手には優れた「心」と健やかな「体」が必要、という、”スポーツ”として必要な「心技体」ではなく、”スポーツ興行”として必要な「心技体」に変わったのです。

つまり現代の「心技体」という言葉は、ビジネス面(興行)教育面(体育)という、本来、スポーツや武道とは関係の無い外側の要素によって、言葉の意味が変わりました。

というわけで、「心技体」という言葉の意味が変容したという話はこの辺にしておいて、そうなってしまったものは仕方がないので、新解釈の「心技体」を軸に本題に戻すと、プロゲーマーに「心・技・体」のうち「技」しか備わっていない(ようにみえる)限り、少なくとも従来のスポーツ興行と同様の好感度ファンビジネスは成立しません。スポーツベッティング(賭け)で、「技」の側面だけで楽しめるようにする必要があるでしょう。

梅原氏やTokido氏がアスリートであるような演出が比較的上手くいっているのは、梅原氏の発言から「心」の成熟度を感じ、Tokido氏の身体を鍛えている映像によって「体」も兼ねそろえているというブランディングがされているからです。じゃあ全てのプロゲーマーをスポーツアスリートと同じ扱いにしてもらうためには、プロゲーマー全員のSNSを検閲し、毎日ジムに通わせるのか?というとそれは現実的ではありません。

今回も最後まで読んで頂いてありがとうございました。プロゲーマーが「技」の存在だと思われているうちは(「技」の存在としての認知も不十分だが)、どんなに「技」の素晴らしさを説明したところで、一般的なスポーツ興行としての成功はないと思います。よって打開策は2つ、強行策としてスポンサーとファンの顔色を伺うようにゲーム技術とは無関係な「心」「体」をプロゲーマーたちに身に付けさせる、またはスポーツベッティングの導入で「技」だけでも楽しめる業界にするか。個人的には、ゲームらしさが残る進化は後者だと思っています。

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