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お布団工房四代目のひとりごと〜創業150周年だから創業から現在までをふりかえってみる~

「日本一の寝具メーカー」を本気で目指すお布団工房四代目の想いを徒然なるままに書き散らかすコーナーです。


創業150周年だから創業から現在までをふりかえってみる

法人組織に改組した祖父と祖母。祖父もまた変化に適応するために改革を断行した。

会社沿革~先代たちの足跡~

西洋列国に追いつくために、日本国が大きな刷新の最中の明治6年、私にとっての高祖父である高橋要蔵により東京は江東区猿江に高橋綿店が生まれた。当時は布団専門店だったと聞いている。
曾祖父の高橋権太郎が昭和7年に継承し、昭和22年に東京は江東区永代に製綿工場の操業を開始。まだ残ってはいるが、この時代の布団は綿布団で、布団職人が成形した綿を器用に綿入れし丁寧に縫製して一枚の布団を仕立てる。その成形した綿を製造していたのがこの時代である。布団の小売から製造卸に業態を変更している。

祖父の高橋與一郎が、終戦後の昭和24年に法人組織へ改組。高橋製綿工業株式会社を設立。布団職人へ卸す成形した綿は玉綿(たまわた)と呼ばれ、それぞれの業者ごとに銘柄があり、銘柄には名前がついていた。今でいうブランド名みたいなもんだ。三代目の祖父高橋與一郎が昭和30年に布団綿の名称を『小判印わた』と銘々。一方で、布団が和布団から洋布団へ移り変わっていく流れを察知し、昭和37年に栃木工場を建設、洋布団の製造を開始する。和布団の流通縮小から昭和57年に東京工場を閉鎖し、栃木工場と合併した。この東京工場の売却で得た資金を元手に固綿製造ラインを新設。卸先も布団専門店から量販店へ舵切りされていく。

会社沿革~先代たちの足跡~

昭和63年、祖父の與一郎が突然倒れ、帰らぬ人に。急な代表の交代だったのかもしれない。父である四代目 中條輝夫が代表取締役に就任。平成2年に布団工場を刷新し、生産能力を向上させ、量販店への卸に対応できるようにした。しかし、これが功を奏さなかった。というより、これにより量を追いかける経営に追い込まれてしまい、仕事をもらうための利益が出ない卸価格が原因で、次第に経営状況は悪化していき、平成8年に東京本社を栃木工場に移転し、本社統合。さらには、平成13年に民事再生手続を申請する事態に発展してしまった。父は母方の生業を継承したので、生粋の高橋の血を継ぐ者ではない。このようなこともあり、「自分でこの事業を終わらせるわけにはいかない。」「高橋の血を継ぐ息子に継いでもらいたい。」という想いをもとに、いろいろな制限(信用がないがために銀行融資不可、仕入先からも枠という制限があったので複数先からの仕入が必要だった。)がありながらも、意地と根性で、平成23年に一般債権者向けの民事再生をなんとか完済させたのだった。

会社沿革~5代目が取り組んできたこと~

わたしは東日本大震災の翌年である平成24年に家業に戻った。入社して3か月目の3月に、いつも気に掛けてくれる主要な取引先様へ初めて訪問した。財務状況は分かって入社したはずだったのだが、その取引先様のところでその時の財務状況、今後どうしていくのかについての話し合いで、あまりにショックを受けすぎて、出していただいたランチのお弁当が一口も手をつけることが出来なかった。このときから自分の中でスイッチが入ったのを憶えている。役職なしの取締役から【常務取締役】へ社長である父に直訴して就任させてもらった。価格コントロールできないことが経営の傾いた理由であると考えてたので、自分たちが小売をやる必要性を強烈に感じていた。平成25年にインターネット販売を開始。ありがたいことに開始当初から流れに乗ることができた。少しずつ卸を撤退しつつ、小売を増やしていった。すると、粗利益率が改善していき、黒字を常態化することができた。結果を出すことができるようになるにつれ、社長である父に対して意見を言うようになり、そして、対立。溝が大きくなり、関係性は悪化するばかりだった。そして、入社して5年が経つ前の平成28年10月から出社拒否をするようになり、本気で会社を辞めようと思っていたところ、状況を見かねた先述の取引先様が仲介に入ってくださり、社長の交代劇というお家騒動を経て、平成29年4月に代表取締役に就任することになったのでした。

会社沿革~5代目が取り組んできたこと①~

取り組んできたことの詳細は画像を見てもらえたらと思うが、品質に重きを置くために、お布団工房のブランドにリソースを集中すべく、製造小売へ業態を変更した。さらに、小山市のふるさと納税返礼品としての提供も開始。

会社沿革~5代目が取り組んできたこと②~

そして、IoTやAIの普及による将来の不安から、補助金を活用して、睡眠日誌アプリ『ネルシル』を開発。ユーザーのパーソナルデータ、睡眠データ、寝具データを収集し、統合、分析することで、寝具の研究開発や販売促進に活用する予定であったが、思うようにアクティブユーザー数が伸びずに、伸ばそうとアプリを改善しようにも追加投資で数百万~数千万円が簡単に飛んでしまう世界。いち布団メーカーがやれる範囲を超えていると痛感し撤退した。

きっと会社が代々大事にしてきたもの

創業者の"想い"

高祖父も曾祖父も祖父も居ない。彼らが大事にしてきたものは今確認しようがない。会社が傾いた時もあったが、きっと"いいものを届けたい"という"想い"を大切にやってきたんじゃないかなぁと思うのです。

そして、わたしたちはその想いを大切に、ものづくりに取り組んでいます。
その取り組みは次の記事に詳しく記載しているので是非お時間があるときに読んでみてほしいです。

また、先代と代表になる前のわたしの"想い"が動画にまとめられています。10年前くらいに制作した動画で10分超の大作です。こちらも是非、チェックしてみてほしいです。
今と会社の様子、雰囲気が全然違うのが面白い。マジでみんなに笑顔がないのが当時を物語っている貴重な資料ですw

とにかくいい会社にしたかった

なんやかんやと、たくさんの失敗もしてきたけど、以前に比べて会社の様子、雰囲気はかなり良くなってきた。昨年の年末に撮影したのが次の写真。

笑顔に溢れたわたしが大好きな1枚

笑顔に溢れ、なんかキラキラしてる。噓なく本当にこんな感じ。ただ、社長がつくった理念、価値観・行動指針のもとの一枚岩。結束力もあって一見いい会社だけど、自律はこれからの時代に絶対に必要であると思っていたし、自律=幸福にもつながると考えてた。自律とは人生を豊かにする素敵な姿勢と感じていた。だから、重なり合いを大事にする自律分散型組織を志向するようになり、自律分散型組織になっちゃうDXOをインストールすることになったのです。

グリーン組織からティール組織へ

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