善か悪か、それだけなのか

私は嫌いだからその番組を見ない、ということを念のため前置きしつつ。

「松本、アウト〜」

ってやつ、あるじゃないですか。あの番組では笑ったらアウトなんだけど、Twitterの世界って「〇〇、アウト〜」って呟きが多すぎる。

って久々にTwitter開いて思った。

声出し禁止のロックフェスにおける各ミュージシャンのMCの話とか、同じ場で海外ミュージシャンをいじってると感じられる日本ミュージシャンの話とか、とあるニュースへの誰かの反応に対する誰かの反応とか…

確かに声出し禁止なのに「声出せ」はちょっとないなぁ…とは思うし、私はその人が誰の息子かってことと歌がうまくて人気だ、ってことくらいしか知らないんだけど、そういうあまり知らない相手には「その人、なんでそんなこと言ったんだろうなぁ。何か色々思うことがあったんだろうなぁ…(ダメだけども)」とまず思うと思うんだ。言った瞬間に「アウト〜」とは思わないと思うんだ。

例えば学校でクラスメイトが自分的にアウトな発言したって卒業まで付き合わなければならない人物なんだから心の中でイエローカードを出しておくにとどめるはず。でも人によっては「〇〇アウト〜」と口に出してしまう。そしてそれって多分いじめのはじまりなんだよね。

あと、誰かの発言をアウトと思った時の表現は「〇〇のそういう発言はアウトだ」であるべきであって、「そういうこと発言した〇〇はアウトだ」であるべきではない。その発言がその人の全てではないのだから。百歩譲って「そういう発言したから〇〇が嫌いになった」ならそれはその人の感情だから仕方ないのだけど。

戦争とかもそう。戦争した国(主に敗戦国)、戦争の原因作った国が悪い、っていう表現ばかり続けるからなくならないんだと思う。「戦争という行為が悪い」というのは勿論教科書に書いてあるしみんなそう言うのだけど実際には全く実践されてない。だから、日本人はもはや自分とは一切関係のない時代のことを加害者として妙な罪悪感でもって受け止めてしまい自己防衛が異常に働いたり拗らせたりして変なこと言い出す人が生まれて、シンプルに自分も未来の加害者または被害者になり得るという視点で過去の過ちを反省したり戦争や戦争に導くあらゆる危険信号を未然に防ごうという観点が欠如する。誰が悪い、どこどこの国が悪いという文脈でなければ、世界中の人と過去に犯した過ちについて一緒に問題を指摘し合えるし分かり合えるし被害者へ心から同情し過去の過ちを未来の人たちと積極的に共有することで過ちが繰り返されないようにしようと思えるはずなのに。

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