Anpanmanに思うこと
BTSで好きな曲って何?と聞かれることがある。はっきり言って私は答えられない。まあ、20曲選べと言われれば頑張って考え始めるかもしれないが、それでも最後の3曲を選べなくて降参してしまう気がする。そのくらい、私はBTSの曲をどれもくまなく愛している。ただ、数ある大好きな曲たちの中でも聴くたびに「だから私はあなた達が好きなんだよっ!」という気持ちで胸がいっぱいになる特別な曲がある。
2018年に発表されたAnpanmanという曲だ。
ここ数年でバンタンを好きになった日本人アミならば、彼らの過去を紐解きAnpanmanという曲に出会って「え?これってあのアンパンマン?いやいやまさか違うよね」と思った経験があるのではないだろうか。ちなみに私は完全にその反応をした。
そしてそんな反応をした人はきっとこの曲の歌詞をググったはず。そして、このAnpanmanがあのアンパンマンだとわかり、感動に震えたはず(全部私)。
但し、BTSのAnpanmanがやなせたかしのアンパンマンだとわかって感動すると言っても、感動の仕方は人それぞれかもしれない。私の感動は決して「日本のアンパンマンを歌のテーマに選んでくれたなんて!」という感動ではない。私の溢れるほどの感動を要約するのなら「よくぞアンパンマンの美学を世界に伝えてくださった!」である。
私はアンパンマンで育った世代ではなく(アンパンマンがテレビ初放映されたのは1988年、私はもう小学2年生だった)子供を産むまでドキンちゃんが敵か味方かもわからないくらいアンパンマンに疎かった。しかし、子供と毎日アンパンマンを見て読んでミュージアムも行って…とするうちに私はやなせたかし大先生の世界観にものすごく感銘を受け、BTSより先にアンパンマン(もとい、やなせたかし)のファンになった。アンパンマンをただのアニメキャラと考える人々に対して「アンパンマンっていうのはね…」と熱弁をふるいたくなるようなちょっとうざめな人間だった私にとって、BTSは私の思いを代弁してくれた同志である。だから、私はとりわけこのAnpanmanという楽曲に愛情を持っている。
というわけで、今日は私のAnmanman愛について語らせてください。ちょっと引用多めのウザい記事になりますが、興味ある方にお付き合い頂けたら幸いです。
正義のヒーローって?
皆さんは初代アンパンマンをご存知ですか?
「十二の真珠」という短編童話集の中に収められているこの初代アンパンマンは、お腹を空かせた人にあんパンを配るだけのちょっとメタボでダサいおじさんヒーローだ(ちなみに自分であんパンを焼いている)。
何しろこのアンパンマン、できることは「空を飛ぶこととあんパンをあげることだけ」で、飛び方も不恰好で子供に「かっこわりぃ!」と言われる始末。決してみんなが憧れる正義の味方ではないのである。
バットマンにしてもスパイダーマンにしてもウルトラマンにしても、彼らを「正義のヒーロー」たらしめる要因はずばり「敵」の存在である。人々を襲ったり苦しめる「敵」に戦いを挑みやっつけるから彼らは正義の味方と呼ばれる。
これに対し、初代アンパンマンには「敵」は出てこない。戦争で荒れ果てた国で飢え死にしそうな子供たちに空からあんパンを落とす。彼がするのはただそれだけなのである。つまり、やなせ氏は、国を荒らした「敵」をやっつける正義の味方ではなく、今まさにお腹が空いて泣いている子供にあんパンをあげる正義の味方を描いたわけだ。
これにはやなせ氏の「正義」についての考え方が反映されていて、その考え方は戦争を経て培われたものだという。
「正義のヒーロー」とは聞こえがいいが、「正義」というのは善悪の判断基準がどこにあるかによって変化する危ういものだ。そこを突き詰めて考えれば、あるべき「正義」とは目の前にいる人を救うことなのではないか。この考え方こそがアンパンマンの原点だ。これはまさにAnpanmanの歌詞における「多くのことは望むな、僕は君のヒーローになれる」の部分だと思う。そして、目の前の人を救うためにアンパンマンが持つのはあんパンで、BTSが持つのは「歌」なのである。
私はBTSを好きになってからの約2年でどれだけ彼らに救われただろうか。日々私を癒してくれることは勿論、自分ではどうしようもできない辛いことがあった日に推しが笑顔を思い出させてくれたことが何度あっただろうか。
だから、彼らは確実に私のアンパンマンだし、私の正義のヒーローなんだ。
傷つくことなしに正義は行えない
初代アンパンマンから6年後、アンパンマンは「あんぱんまん」という絵本で再登場する。
絵本版あんぱんまんは顔があんパンになり、お腹を空かせた子に自分の顔を食べさせるという、私たちが知るアンパンマンに近い姿に進化する。それでも、ボロボロのつぎはぎだらけのマントでやはり“ヒーローっぽさ”はない。
絵本版も今のアニメ版も、アンパンマンは自分の顔を苦しむ人に差し出してその顔が欠けるとパワーを失う。つまり、彼は犠牲を払いながら地道にあんパンを提供しているのである。
やなせたかしはこの絵本のあとがきにこう書いている。
あんぱんまんは顔を全部食べられてしまうとただの顔なし人間となる。顔がないと目もないわけで、目的地に進むこともできないし、そもそもパワーを失っている。それでも彼は生きていて、新しいパンを焼いてもらえば、また困っている人にその顔を差し出しに行く。
ではBTSはどうか。
BTSはすでに世界の頂点に立っていると言っても過言ではない。誰もが彼らを傷のない完璧なヒーローと思うかもしれない。
実際には、彼らは青春を犠牲にし、体力や精神をすり減らし、血汗涙を流して壮絶な努力を続けながら最高のパフォーマンスを世に出してきた。ユンギは以前あまりに高いところに来てしまった恐怖、墜落する恐怖について語っていたけど、その当時の彼らはまさに「目覚めるとヒーロー、でもまだ迷路」の気分だったのだろう。舞台を降りればただの20代の青年。一人になり、夜になり、または心無い言葉で傷つけられれば、不安を覚えたり心が弱くなったりすることは幾度となくあっただろう。
Anpanmanの「僕を信じて、僕はヒーローだから」という歌詞はBTSというヒーローを待つARMYへのメッセージであると同時に、傷つき、迷い、未来を恐れる7人の青年、つまり自分自身へのメッセージでもある。自分はスーパーヒーローなんだ、誰かを救う正義の味方なんだと自分を鼓舞し勇気付けるおまじないみたいな。
“Big house, Big cars, Big rings”を全部、いくつも手に入れたとしても、それだけでは人生を豊かにすることはできないし、辛い茨の道を進む力が湧き上がらないだろう。だから彼らは、たとえ傷だらけでも自分たちの歌が世界中のARMYを幸せにしているのだと信じて歌い続けているのだろうし、それが彼らの幸せなんだと私は信じたい。
それに、Anpanmanを聴いていると「あぁ私は本当にバンタンに救われてるなぁ」と彼らへの愛を深めながら「私も誰かのアンパンマンになろう」と思うのだ。多くのことを望まず、その時その時でどんな小さなことでもいいから自分の周りにいる人を幸せにしよう、と。そしてみんながそんな風にできたら世界は平和になるんじゃないかな、と。
やなせたかしからBTSへのメッセージ
やなせたかしは2013年に亡くなっている。もし今もご存命なら、きっとAnpanmanの歌を喜んで聴いてくれたと思うし、ARMYになっていたのではないかと勝手に思っている。
もはや頂点に立ったとも言えるBTSなので数年前の悩めるBTSは過去のものかもしれないが、もし今後彼らが何か悩む瞬間があったとしたら、やなせペンの私がやなせさんの代理で彼らに贈りたい曲を最後に引用し、この記事をまとめたいと思う。
まるで「僕たちが新世代のアンパンマンだ!」と歌ったBTSにやなせさんが「アンパンマンは君だよ、君は優しいヒーローだね」と語りかけているように聴こえてくるのは、私だけでしょうか。
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