雑文中の雑文

負けず嫌いな性格だと思う。

負けず嫌い、と言っても色んな捉え方があるけど、例えば私は1対1で戦う卓球などのゲームにおいては驚くべきほどに勝ちへの執着がなく、そういう時に闘志を燃やすタイプの人が相手だと完全に戦意喪失して早く負けてしまいたいとか思ってしまうのだが、例えばタイムや点数を競うような、はっきりと目の前に敵が存在しないような戦いでは負けず嫌いを発揮する。よく言えば、自分に対して負けず嫌いというか、各自が自分のベストを出さなければいけない場では頑張るタイプ、というのかな。

初っ端から脱線しているのだが、私は人前で泣いたり感情を表に出すのが苦手だ。それを「負けず嫌い」で表現すべきか否かは不明だが、なんとなく、それと関係している気がしている。そしてそんな性格がすごく嫌いだ。なんて可愛くない性格なのだろうかと頻繁に自分を責めたりしている。

今回韓国に来たのは、闘病中の義父に会うためだった。闘病中、と言っても、かなり状態は酷く、先日先に渡韓した夫が面会した時は言葉は出せなくとも夫の話に反応したりできていたらしいのだが、今日義父はベッドに臥したままで目を開くこともなかった。呼吸器をつけてその呼吸のたびに喉仏は動き、握った手も温かく少しばかり力も感じたが、私の声が聞こえているのかどうか、全くわからなかった。

優しくて、社交的で、歳の割にしっかりした体格でパワー溢れる私の大好きな義父がこの2年ほどであんな姿になっていたことが、そしてコロナのせいで会いに来るのがこんなに遅れたことが本当に悲しくてやるせない。それに、さっき、義父にサランヘヨと言い忘れたことを今もの凄く悔やんで、ソウル行きのKTXで一人泣いている(ちなみに一人で来たのです)。

家族の前では泣けないくせに見ず知らずの乗客の前では泣ける曲がった性格の私なので、やはり文字でしか繋がりのないこの場所で気持ちを吐き出すことで涙を出来るだけ引っ込ませたくてこんなことを書いています。ほぼ無理やり付き合わせてごめんなさい。

ソウル駅には韓国の友達が迎えに来てくれる。そうすれば、負けず嫌いで器用な私は悲しい顔など見せないし単純に久々の再会を喜び、旦那さんにいただいたソウルでの2日間を満喫するつもりだ。てか、そこは本当にシンプルに楽しみにしていて、そんなゲンキンな自分に若干の嫌悪感を抱きつつもバンタンが住んでいる街の空気を吸えることも、行きたかった場所に行けることも楽しみにしている。

ああ、どんどん何が言いたいのかわからない乱文になっている…。単にこみ上げた涙を引っ込ませるために書き始めたからそりゃあまともな文が書けるわけもなく。

ただ私は、義家族がとても好きで、今回改めて本当にいいところにお嫁に来れたものだと思ったし、そんな家族を作った義父と義母に感謝が溢れるし、尊敬の念も溢れるし、ああ、また涙が出てきた。ダメだ。

心の内をほぼ明かさない私のような人間の心の内をこれでもかと明かす場所を作ってくださっている皆さんに改めて感謝申し上げます。吐き出す場所をありがとうございます。明日からは明るさしかない自分になって義父につっこまれるほど楽しもうと思います。

아버님 정말 사랑해요♡

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