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拝啓、キムナムジュン様

今日はBTSのリーダー、もとい、世界一のリーダー、キムナムジュンの誕生日だ。

昨夜0時頃にセンイル恒例のお祝いメッセージをTwitterにあげ、朝起きてユンギの십년더하자(もう10年やろう)に心震えすでにお腹いっぱいなのだが、自分としたことが、noteにナムジュンへの愛を書き連ねる作業をやっていなかったのである。なんということか。本日中に絶対に書いてみせる(子持ちの週末は忙しいためかなりの気合いが必要)。

さて、ナムジュンのことを考えながら洗濯物を干していた時気付いたことがある。ナムジュンって、若い頃の私が理想と考えていたような人だ。ホソクにゾッコンすぎて気付いていなかったが「こんな人、いないだろうけどいたらいいな」と若い頃の自分が夢想していた人物そのものなのだ。というわけで、ナムジュンのどの部分が私の理想なのか、そしてそれが私がバンタンを愛し崇める土台作りにどう影響しているかについて考察してみたいと思う。

1. 真面目とクールの共存

若い頃に好きなタイプを聞かれて「真面目な人」と答える女子は稀有ではないだろうか。私は今も昔も真面目な人がタイプだ。ただし、若い頃、人にタイプを聞かれて「真面目な人」と答えたことは多分ない。それは何故か。

「真面目な人」と聞いて若者が思い浮かべるイメージは、地味で勉強もそこそこできてルールをしっかり守ってそう、みたいな感じではなかろうか。そして私の「真面目」は決してその「真面目」ではないのだ。余談だが、ティーン誌で「あなたが将来結婚する人を芸能人に例えたら誰?占い」みたいなのをやって、私の相手が筒井道隆ですごくがっかりした記憶がある。筒井道隆が嫌いだったわけではなく、真面目な人は好きだけどそういうわかりやすい真面目が好きなわけではないんだよー!という、そんな乙女心のせいだった。当時私はhideが好きだったのである。彼は私の物差しでは真面目な人だった。世間的には伝わりにくいけれど。

前置きが長くなったが、キムナムジュンはラッパーである。ロックが廃れた現代において、一番ロックしてるジャンルであろう(私の辞書によれば)。デビュー当時の彼はメンディー風パンチパーマにグラサン、鎖をジャラジャラさせて所謂「真面目」とは縁遠いルックスで世の中を批判する激しいラップを披露していた。デビュー前に発表した「닥투」では「投票しよう」と呼びかけ(←個人的にこことても重要)、「O!RUL8,2?」では生きるとは人生とは何なのか父に問いかける。つまり彼は私の辞書においてはクソがつくほどの真面目だ。

世の中広し、ダメンズ好きもいるでしょうが、ある程度成長した女子は大体「真面目な男」を求めるのではないかな。勿論その時に筒井道隆みたいな男で十分満足100点満点かもしれないが、クールなルックスでクールな仕事をしていたらなお最高なのである。(なお、細かいのだが、真面目なようでクールな人ではなく、クールなようで真面目な人が好きなのです。真面目さを前面に出さないというか...同じようで大きく違うこの差、伝わるかな...)

2. 成し遂げた人が物言う重み

「学校なんてクソ食らえ」は手垢のついた反抗ソングの常套句だ。思春期に感じるあらゆる感情を手っ取り早く最大公約数にすればそんな文句になるのだろうか。ただ、このありふれた言葉もナムジュンの口から出れば別物なのである。

尾崎豊は「15の夜」で「とにかくもう学校や家には帰りたくない」と歌ったし、「卒業」を「支配からの卒業」と表現したし、ブルーハーツは「少年の詩」で「大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない」と叫んだが、これらは正真正銘の反抗期であって、彼らは教育制度への批判をしている訳でもなく、もし批判したかったのだとしても、バイクを盗んだり、夜の校舎で窓ガラス割ったり、ナイフ持って立っていたりしていては学校を批判する権利など認められるはずがない。

ナムジュンはIQ148の天才で、模擬試験で上位1%に入るような優等生だった。その気になればソウル大学に入っていたであろう彼が学歴社会を批判するのは、学歴社会から取り残された人たちが批判するのとは訳が違う。重みが違うし、某大臣の言葉を借りれば「まったく別の地平から見てきた言葉」なのである。

尾崎豊やブルーハーツの反抗ソングにも勿論良さはあるし、彼らが育った学校はきっと想像を遥かに超える劣悪さでそれこそ違う地平だったのだろう。なのでこれは環境や価値観の問題なのかもしれないが、少なくとも私は「試した上で、努力した上で」文句を言いたい人間なのでナムジュンと同じ地平にいたい。学校に限らず、彼は常に努力を怠らず頂点に立とうという姿勢で社会と闘っている印象がある。デビューしたばかりの頃、売れない先輩ラッパーに攻撃されても彼は冷静だったし、多分「見てろよ」の反骨精神で努力したと思う。今も、グラミーや音楽賞なんてクソ食らえなんて言わず、まずはやれること全部試して最善を尽くすのだ。まずはやってみよう。ダメならそれから考えよう。そんなカッコいいラッパー、ナムジュン(もとい、防弾少年団)以外に私は知らない。

3. シンプルに、趣味が私と合うんです

私はホソクが大好きですが、ショッピングは私の趣味ではありません。釣りもゲームもお酒もまったくやりません(※あ、でもあつ森はしている)。でもナムジュンの趣味は「まさか私の真似してる?」という壮大な勘違いをしてしまうほどピッタリ合うのだ。

読書や映画鑑賞が好きな男子は沢山いると思う。でも、美術館に行ったり、自転車をこいだり、のんびり風に当たりながらふらふら散歩したり、植物を育てるのが好き、という男子になると数は一気に減ると思う。取り敢えず、美大生でもないのに美術館が好きというアジア系男子は少ないのだ(私調べ)。最近の彼の趣味、ヘルス(筋トレ)も、私だって子供が小さくなければやりたい...てか昔はジム通ってたしスタジオでズンバとかせずただひたすら筋トレしてたなぁ...懐かしい。

私は美術館、博物館の類が大好きで、旅に出たら「館」と名のつく場所に行くのが当然と考えるタイプだ。昔ロンドンに住んでいたことがあるのだが、嫌なことがあったらテートモダンに行っていた。テートモダンは私が現代アートを好きになったきっかけの場所で、是非ナムジュンとデートに行きたい場所なのだ(迷惑発言お許しください)。現代アートは自分の心を映す鏡、というのが私の持論なのだが、だからこそ抽象的すぎる作品に対して「これってどういうこと?」「現代アートって意味がわからない」「こんなぐちゃぐちゃな絵が〇〇円もするの!」などという会話は絶対に御法度である。だから基本的に美術館には一人で行く。でもナムジュンとなら言葉はあまり交わさずに楽しくデートでき...(以下自粛)。

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ナムジュンのどこが好きか、ということを書き始めたら永遠に終わりを迎えることが出来なさそうだ。だから中略することとする。

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最後に。これは上記を全て包括しそうな内容ではあるが、ナムジュンの最大の魅力、それは、本物であること、だ。

BTSが世界を舞台に成功した理由は複合的だ。何かひとつに絞れるようなものではないし、要因は山ほどあろう。が、「ナムジュンというナメられない存在」という要素は極めて重要だ、と思う。

バンタンをアイドルと一括りにはできないのは、ひとえにラップライン、特にナムジュンとユンギの存在と、彼らのバックボーンがアイドル音楽ではなく本物の音楽にあることが大きい。アイドルに憧れてアイドルになった人たちではないのだ。音楽をやりたくてその手段としてアイドルを選んだ人たちなのだ。

本物の音楽に触れて本物の音楽を目指して活動してきたから、世界中の本物のミュージシャンも彼らを単なるアイドルとしてではなくアーティストとして扱う。アーティストが交流する時の共通言語、すなわち、バンタンの場合はヒップホップという音楽、これがあるかないかは大きいと思う。(逆に言えば、この共通言語を持たないアイドルは永遠にアイドルの枠内を飛び越えないと私は思う)

そして何よりもバンタンの思想世界。これは個性豊かな7人が集まることで生まれた奇跡ではあるが、ナムジュンの数々の発言を聞いて感銘を受けない人などいるのだろうか(いるならよっぽど心が薄汚れている)。彼の発言はポーズなんかじゃない。デビュー当時、いやその前から彼という人間は一貫している。カッコつけでも誰かの真似でもない。何しろ、彼は読書したり美術鑑賞したり言語を学んだり社会に関心を持ったりと学びを止めることがない。よって土台がしっかりしているのだ。奇をてらったりすることもなく、ただただナチュラルなのだ。自分自身に正直で、本物、なのだ。


さて、お昼前から書き出したこのnote、家事の合間合間に書いたので若干まとまりに欠けるし書き忘れてることも沢山ありそうだが、今日9/12のナムジュンの誕生日にちゃんと上げることがゴールなので、推敲はせずこのままどーんと公開してしまいます。また機会があればナムジュンについて色々書きたいな。そんな感想を持ちつつ、今日という日に、この素晴らしい人と出会い、彼が大切にしてくれている「ARMY」の中にいられることをただただ感謝し、自分も彼に倣い、学びを止めずに本物でありたいと強く願うばかりです。

ナムジュン、ありがとう。そして、お誕生日おめでとう。

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