感じやすいんだか感じにくいんだか

27歳の時、急性膵炎になった。急性膵炎とはチュートリアルの福田とか次長課長の河本とかがかかった、あの闘病中に痩せ細る病気。基本的に大酒飲みの男性に多い病気である。私は下戸だ。

医者は原因を「過労」とした。私含め、周りの誰もそれに異議を唱えることはなかった。あの頃私はマジで過労だった。

そもそもその職場は過労が当然みたいな環境で、まあ、ブラック企業と呼ばれるような職場に比べればマシだとは思うが、例えば、定時5時半なのに8時過ぎに退勤すると「あれ?今日早いですね、デートですか?」と聞かれるような職場だった。週に最低2回は終電または終電逃しのタクシー帰宅。土日のどっちかが潰れるのは普通だったし、朝まで残業して始発で帰宅とか。とにかくそんな労働環境だったため、同僚が常に誰か病んでいた。誰かが精神的に病むと、そのツケが誰かに回り、その人がまた病むとまた誰かに回り...という最悪のサイクル。私も精神的に病んで逃げてしまいたかったがどーにも精神力が強くて病むことはなかった。

そんなある日、私は急性膵炎になり、入院し、やっと仕事を休めた。そして休んでいる間に「転職しよう」と決めた。その後めちゃくちゃ良い転職ができたため、あの膵炎騒ぎはご先祖様による荒療治だったと思っている。

で、何故こんな古い話を突然書いているかというと、その時に自分で思ったことを今日、久しぶりに思い出したからである。

その時思ったことというのは「ああ、私って自分の心の変化にあまり気付けないタイプなんだな。心の弱い部分を絶対に認めたくない頑固者で、そうこうしているうちに体に変化が現れて初めて自分の状態を理解するタイプなのかもな」ということ。

入院中に医者は私にうつ病の診断テストを受けるよう勧めた。私はそういう類のものがとても苦手なので、先生に「私、絶対にうつじゃない自信があるのでやりたくありません」と伝えた。が、先生は「そういう人こそ危険なんです」と無理やりやらせた。

うつ病診断テスト、私はやってみて結構驚いた。なぜなら、質問が「夜悲しくて眠れない時がある」とか「涙が出て止まらない時がある」とか「気分が落ち込み何をしても楽しくない」とかそんな質問だったからだ。多分、日によればそれ、全部Yesなのだ。それこそ失恋した日にそのテストをやったら確実に鬱と診断されるだろう。私は結局「そんな日もあることはあるけど今は違う」とうつと診断されそうな質問に努めてNoと回答したため「やっぱり鬱ではありませんでした」と言われた。医者よ、そんなんでいいのか...。

でね、前置きが長くてごめん。

今日、私の推しがコロナにかかったとの知らせがあった。それを見た瞬間から、今もずっと、胸のざわつきが取れません!!!一体これ、どうしたらいいんですか!!!心配すぎて居ても立っても居られないというような状態なんです。何をしても落ち着かない。子持ち主婦であるため「心配で何も手につかないわ」なんて言ってられないのだが、本当に、色々忙しくしている間も頭からそのことが全く抜けない。ずーーーーっと胃がモヤモヤしている。

それで、私、これまで何度か「私はリアコじゃない」って言い続けて来たのだが、今、もはやそう主張するのは無理があるんじゃないかな、という状態にある。

ジミンペンのお友達がジミンのコロナ&盲腸で(多分泣いて)辛がっている時も、先日ソクジンが指を怪我した時にジンペンのお友達が物凄く悪いことまで想像して(多分泣いて)胸を痛めまくっている時も、私は「本当にリアコなんだね...大好きなんだね...」って外野気分で思っていたのだが、本当に、本当に、大変失礼いたしましたな気分です今。アミ友たちよ、全然理解してあげられてなくてゴメンなさい。今ようやくわかりました。推しの病とか怪我とか、本当に本当に辛いものなのね...。

あの時、どうしても鬱と診断されたくなかった私、多分精神的にも結構参ってたはずなのに絶対にそれを認めたくなくて頑張りすぎて結局体を壊して自分の限界を知った私という人間は、今日、つまり、推しがコロナにかかった2022年3月24日を「私はやはりリアコだった」と初めて認めた「リアコ記念日」に定めようと思います。

TMIだらけの読みづらい長文で大変申し訳ありません。本来なら読みやすくするために推敲したいところですが、そんなことする元気すらないのでこのまま投稿します。

最後に。神様、お願いだから推しがコロナで苦しまないようにしてください。私、自分がリアコだと認めますから。どうか。

早く治って笑顔でアメリカに行けますように。


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