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ナムジュンのウィバスに寄せて

言葉って難しい。

感情と言葉。言葉は自分の感情を他人に伝えるのに一番明快な方法だ。でも、本来ゴツゴツと複雑であるはずの感情を言葉にする時、どうしてもゴツゴツの部分は切り落とされてしまう。そこに難しさがある、と思う。

言葉はすごいパワーを持っている。感情よりだいぶ簡潔であるはずの言葉によって感情が補強される時もある。例えば、人を好きになった時。あの人と目が合うとドキドキする、あの人に可愛いと思ってもらいたくておしゃれするようになった、あの人のことを思い出すとドキドキ幸せになる…。この感情を「好き」という言葉に落とし込んだ瞬間、自分の身に起きているよくわからない色々な現象は全て「好き」という言葉で説明が可能になる。そしてさらに、それを他人に伝えた瞬間に「好き」は決定事項となり「好き」の感情はより強固なものとなる。BTSを好きになる過程もそんな感じじゃなかっただろうか。一目惚れにしてもジワジワ好きになるパターンでも、誰かに「BTS好きになったかも」と表明してやっと正式にBTSが好きだという感情が確定したり、誰かに推しの魅力をとうとうと語り続けて「すごい好きなんだね」と言われて初めて「そうなの!好きなの!」ってやっと自覚できるようになる、とか。

逆に、自分の感情を他人によって言葉に落とし込まれて「なんか違う」と居心地悪くなってしまうこともある。例えば、職場など身の回りの苦手な人の話を他人にした時に「要するにその人が嫌いなんでしょ」とか「嫌な人だね、性格悪い人だね」などと言われた時。自分の中で既に「嫌い」という判を押していたのなら良いのだが、まだその人に対する感情がいびつな状態の場合、その人を知らない他人に先に言葉で表現されると戸惑ってしまう。「いや、そういうことではない」となぜか反発してしまう。好き嫌いに限らず、細々とした感情を語っているのにそれを簡単な言葉に落とし込まれて「なんか違う」と感じてしまうこと(実際には全然的外れではないのに、でもなんか違うと思ってしまうこと)は多い。

と、いつも通り前置きが長すぎるのだが、バンタン会食から昨夜のナムジュンのウィバスまでの流れを見ながら、私は言葉の難しさという問題を改めて考えている。

あの会食があった夜、私は目の前で泣いている大好きな男たちを見ながら、彼らの想いを感情で理解した。言葉には落とし込まず、ただ、彼らの苦悩を聞いて胸を痛め、彼らの決断を支持したいと思い、ずっと見守っていこうと決意した。彼らの決断とは果たして何か、とか、そんなことは大して考えず、ただ、自分の感情として彼らに寄り添いたいと思った。でも、途中で夫が帰宅した。どうしたの?と聞かれて夫に説明しなければならなくなった時、私は「グループでの活動は一旦お休みになるみたい。これからソロ活動になるんだって」と言った。夫は「どうして?」と聞いた。私はさらに説明を求められ、彼らが言っていたことを掻い摘んで説明した。夫はわかったようなわからないような相槌を打った。はっきり言って、私がさっきまで感じていたこと、彼らと共有できていたと思っていた感情はほとんどそこには表現されなかった。夫にはほとんど何も伝わってないなと思った。そしてそれは夫が悪いのではなくて、すなわち言葉の難しさなのだ。

放送が終わるとTwitterのTLに放送を見なかった人、言語の問題で理解できなかった人たちの「何があったの?」が溢れた。ストレートに内容を要約して伝えるツイート、翻訳垢による全文翻訳などが徐々に溢れた。そしてそのうち「辛い」とか「ショック」とかありとあらゆる各自の感情ツイートが溢れた。

思った通り、翌朝はニュース媒体による「活動一時休止」の文字が踊った。私は見ていないけどテレビでもかなり取り上げられていたらしい。TLには「活動休止じゃない!」という怒りツイートがいくつか上がった。でも私は思った。一番手っ取り早く説明するなら活動休止という言葉で間違いはないのではないか?と。BTSとしては当分新曲は出さずソロとしてアルバムを出していく、ということなんじゃないの?それって、グループとしての活動一時休止ということではないの?と。でも、やっぱりその言葉が一人歩きしているのを見るのは、嫌だった。なんか違うの、って。そういうことじゃないんだよ、って。

その後、HYBEが「引き続きグループとしてプロジェクトは続けるので活動休止ではなくソロ活動に注力するだけ」というような声明を出し、タルバンが再開するという情報も流れ、グクはブイラで「まだグループでのスケジュールも残ってます!活動中断じゃないですよ!」と笑顔で話した。そうしてTLに安堵の雰囲気が漂った。

そして今日、深夜に上がったナムジュンのウィバスを見て、私は今、彼らのことを心配している。

あの日、彼らはニュースのヘッドラインになるような分かりやすい言葉を一切使わずただありのままに感情を吐露していた。少しばかり「ソロ活動を始めるよ」という情報はくれたけど、あの会食で語られたことはシンプルな言葉にはまとめられない各自の複雑な想いだったと思う。そしてそれは決して「グループの活動を少なくしてソロ活動に注力する」という明確な方向性に対しての思いではなかったように思う。あれはそんな軽いものではなく、もっと重いものだったように思う。

その重い「何か」を、私はあの瞬間、頭ではなく心で理解していた。外からは見えない感情で、言葉では説明できない「何か」で処理できていた。理解の仕方は人によって違うかもしれないけど、アミならばその人の中でその人のやり方で処理できていたはずだと思う。だってそのくらい、彼らは包み隠さず今の気持ちやこれまでの苦悩を正直に教えてくれたし、そこには愛があったから。でも今、あの時に感じた、まとまりはないが尊く繊細な感情は全部、置いてけぼりになっている。

彼らの一挙一動は世界中のファンの感情を動かし、株価を動かし、国も動かす。そんなスーパースターだから感情を感情のままに処理しろ、というのはあまりにも非現実的なことかもしれない。でも、あの7人それぞれの守るべき尊い感情がHYBEのシンプルで楽観的な声明にまとめられ世界に周知されたことについて、7人の誰かの感情が置いてけぼりになっていないだろうかと、私は心配している。

先日のウィバスマガジンでソクジンがこんなことを言っていた。

メンバーたちはすごく意欲的なんですが、同時に欲がちょっと少ないとも言えるかもしれません。グループとしての意欲はすごくあるのに、個人的な欲は、グループを優先して考えて引っ込める部分があります。(中略)みんな自分で判断して一定部分自己犠牲をしながら、常にグループのことに協調すること自体が有難いですし、うまく調整してくれるRMさんが本当にすごいなと思います
BTS「Proof」発表インタビュー 2022.6.14

まさに私がずっと感じていたことだった。そこが7人の好きな部分でもあり、いつも心配になる部分でもあった。だから、あの日の会食を見て、私は「ソロ活動」とはここでジンくんが語った「個人的な欲」であって欲しいと願った。一日中家でゲームをするのが「ソロ活動」でもいいと思った。だから今、あんな風に正直に心の内を語ったことが最大公約数的な言葉でまとめられ、細々とした取るに足らない「個人的な欲」がなおざりにされてしまわないだろうかと、心配している。

多分、今日からサノクの映像が公開になり、これからタルバンの放送決定のお知らせが来たり、ソロ活動が始まって…となれば、また私たちは大きな渦の中に巻き込まれてただそれを楽しむことになるのだろう。でもその時に、あの日私が感じた彼らを労りたい気持ち、アレしてほしいコレしてほしいという欲求は抑えて彼らをただ信じて待たなければならないと思った気持ち、7人それぞれの幸せとか欲を全力で応援したいという気持ちを、できるだけ忘れないように、あの時の言葉では言い表せない感情を置いてけぼりにしないようにしたい、と思っている。

こうして私も自分のいびつな感情を言葉にまとめようとしてみたけど、結局それがちゃんと伝わるかどうかはわからない。だからこそ私は、昨日のナムジュンのウィバスでの言葉に対して、ただ彼に微笑みかけうんうんと頷いてあげたい。言葉なんてなしに、目を見て、優しく頷いてあげたい。少なくともアミに対してはわかりやすい言葉はいらないよ、と伝えたい。時間をかけてでもちゃんと理解しますから、全部大丈夫だから心の赴くままに進んでください、と伝えたい。

(言葉はいらないなんて言いながらこうしてわかりづらい文章を長々と読ませてしまい申し訳ありません。ちゃんと伝わらないかもしれなくてもどかしいけど、それでも伝えるには、表現するには、言葉が必要なんですよね…)

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