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悪口を聞くと傷ついてしまうあなたへ

誰かが誰かの悪口を言っているのを聞くと、なぜか傷ついてしまう、あの日のあなたへ。


自分のことを言われているわけじゃないのに、なぜか傷ついてしまう


わたしは昔から、「誰かが誰かの悪口を言っているのを聞くと、自分のことを言われているわけじゃないのに、深く傷つく」ということを繰り返してきた。

自分の悪口を言われたら誰だって傷つくとは思うのだけれども、わたしの場合は、自分への悪口だけでなく、「他人への悪口」を聞くだけでも、なぜか深く傷ついてしまう自分がいた。

たくさん仕事を経験してきたけれども、大抵の悪口は、「要領よく仕事ができる人」から、「要領が悪く仕事があまりできない人」へ、向けられるものが多かったように思う。


それは「悪口」ではなく「愚痴」だよ!

という意見もあると思うし、たしかにその通りだと思う。
多分、言っているほうは、「愚痴」として、吐き出しているだけなのだと思う。そういう「愚痴」を共有しあうことで、共感が生まれて、連帯感が生まれることも、わかる。

だけれども、わたしには、どうしてもその連帯感が心苦しく、つらいものだった。

要領のわるいひとのことを、悪く思ったことがほとんどない


わたしは、自分のことを自分で、「あまりできない人間だ」と思っている。

いろんなことに困難を感じてきたし、その困難に対して、なんとか努力して生きてきた時間が長いから、どちらかというと、「要領のよい人」より、「要領のわるい人」のほうが、親近感を持っているのだと思う。

だから、職場で、要領のわるい人がいたとしても、「真面目に生きていても尚うまくできないんだな」ということがわかるような場面を見ると、「がんばっているんだな」という気持ちになって、それ以上、腹がたつということがない。

だけれども、「要領のよい人」「上手にできる人」の多くは(少なくともわたしが見てきたなかでは)、そういった「要領のわるい人」の、手際の悪さや、的外れさや、まどろっこしさなんかに、苛立ちを覚えていたように思う。

わたしはいつも、こころのなかでは「要領のわるい人」を応援しながらも、気が付くといつのまにか「要領のよい人」のグループにいた。

それは、わたしが人から見ると困難を抱えているようには見えず、努力して努力してなんとかやっているうちに、いつのまにか、「要領のよい人」のポジションにいることが多かったからだと思う。

ほんとうは自分は自分のことを「できる」と思っていないのに、そして、「要領のわるい人」のことをまったく悪く思っていないのに、まわりからわたしに向けて吐き出される言葉は「要領のわるい人をみているとイライラする」という、自分とは真逆の言葉で、そのギャップにいつも、つらい気持ちになっていた。


どんな場所でも、同じことは起こる


つい先日も、就労移行支援で、まったく同じことが起きた。

今までは、ほかの利用者の方々と深く関わるということをしてこなかったのだけれど、この1か月くらいで、わたしにも「人間関係」というものができた。

そんななかで、わたしは、仲良くしてくれるAさんから、普段の通所の様子から「困難が多いタイプの人なんだな」と思われるBさんのことを、「見ていてイライラする」と、聞かされた。

Aさんの、Bさんへのイライラを聞きながら相槌をうっている自分を、俯瞰してみている「もうひとりの自分」がいた。

わたしは、Bさんのことを、一度も悪く思ったことがない。

たしかにBさんは気を使いすぎるところがあって、会話もスムーズにできないことも多く、でもそれは一生懸命だからで、わたしはBさんのことを「がんばっているなあ」と思っていた。

だから、AさんがBさんのことを「イライラする」と言ったとき、わたしはまた、傷ついた。

「Bさんは一生懸命やっているのに、どうしてそんなことを言うんだろう」と、こころの中で思いながら、それを表に出さずにAさんの話に相槌を打っている自分を、「まるでAさんのイライラに共感しているみたいだ」「まるでAさんの考えの肩を持っているみたいだ」と、心苦しいきもちになっていた。

相手は変えられない、だから自分が変わるために


わたしは、ひどく落ち込んだ。
だけれども、これは、神様がわたしに与えた、もしくは、人生というものがわたしに与えた、「乗り越えなければならない壁」なんじゃないかと、思った。

他人への悪口をまるで自分のことのように捉え、傷つき、つらくなってしまう自分を、そうした場面に立ち会ったときに何も言えず相槌を打つしかできない自分を、変えるチャンスなんじゃないかと思った。

だからわたしは、ひとに相談した。

同居人氏たちと、支援員さんに、自分のこの感情を、素直に全部、吐き出した。

そして一緒に、「悪口に行き当たったときに、自分のこころを守るためにはどうすればいいのか」を、考えてもらった。

自分のこころを守るために


同居人氏1、同居人氏2、そして担当支援員さんに相談して、自分でも考えて、わたしは、こうしようと決めた。

  • 悪口に相槌を打っているからと言って、「自分もその意見に同意している」と考えず、あくまで「ただ傾聴している」と考える。

  • そのうえで、「自分はそうは思わない」ということを、少しずつ言葉や態度で示していく。

  • さらに、危険を予知して、悪口をたくさん言うタイプの人とは、あらかじめ距離を近づけ過ぎない。

  • 最後に、自分の心を自分で守るために、絶対に自分から悪口は言わない。

これから先、就労移行支援を卒業して、働いていく職場で、また同じことでつらい思いをして退職してしまわないように、それだけじゃなくて、これから生きていくうえで、自分のこころを自分で守れるようになるために、まずはこの4つのことを、こころに留めて、生活してみたいと思う。


誰かが誰かの悪口を言っているのを聞くと、なぜか傷ついてしまう、あの日のあなたへ。

あなたは、もう、弱くない。
ちゃんと、自分で自分のこころを守る力が、あるはずです。
だから、すこしずつ、やってみよう。
変わるチャンスは、今、目の前にある。


投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい