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明日、死ぬかもしれない。

「ご飯と睡眠、お風呂はやらなくていいなら、やりたくないんだよね」
と、彼女休みに入る前におひげくんが言ったのです。

「生きる気がないんだよね」と言われたような気がしました。
死ぬ気もないでしょうが。
確かに、おひげくんは今のままなら50歳くらいで死ぬんだろうなという生活をしています。
生きてたとしても、なにかしらの病気にはなりそう。
だから、「この人は私と一緒に生きてはくれないんだ」と思いました。

私は14歳からバセドウ病になって「健康な人」に憧れて、「生きる意味」を探し続けて、執着して生きてきました。
だから、気になって仕事が一緒の日はお弁当を作ったり、「ちゃんと寝ろ」と小言を言ったりしていたのですが、価値観を押し付けてたんだなとも思いました。

一緒にご飯食べるの好きだったけど、おひげくんには「本当はやりたくない時間」だったんだな、とショックも受けました。

自分が大切にしているものは、人にも大切に扱ってほしいじゃないですか。
本貸して、汚れて返ってきたらムカつくじゃないですか。
「大切にしているもの」と「それを大切に扱ってくれない人」が同一なのが問題で、どこに何をぶつければいいのか分からずキィィイー!!(`ㅂ´)と、なりました。

ここまで自分を観察して、「あ、好きなんだな」と気付きました。

なので、彼女休みを終えました。
お休みは25日間でしたね。
コロナのお陰で、状況は何も変わらないのですが。

そういえば、コロナの流行り始めの頃も
普段しない手洗いうがいはするようになってましたが、
「かかるときは、どうしたってかかるじゃん」
って、言ってたんですよね。

自分だけは大丈夫っていう風には思ってない。
仕方ないから、諦めるっていうスタンスな気がするんですよね。
「どうしたってかかるけど、やれることはやる」じゃない。

やっぱり、生きる気がないような感じ。
興味がないのかな。

一緒に働いてたMくんに
「お前は次にいけるかもしれないけど、アイツはお前に振られたら干からびるだけだからね」
って、去年かな、言われたんですよね。

「仕方ない」って動かないで、カサカサになるのが普通に想像できてしまう。すごい。

よくある「明日、死んでも後悔しないように生きる」っていうのも、たぶん彼には刺さらない。

私も「死ぬときは、どうしたって死ぬ」と思ってるけど、めちゃくちゃ悪足掻きします。
悪足掻きしなかったら、とっくに死んでる。

おひげくんに求めるものは、生命力!

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