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分かち合いと奪うこと

2020年
サイバーストーカーにより4カ所以上のアプリ、サロンetcを付き纏われ、場所によっては、嘘や誹謗中傷をされ大変傷ついた。

思うことは、被害を受けた人以外は他人事であるということである。

少しの事なら笑って許せるが2020年の一月から丸一年となると、話も少し変わってくる。

想像力を働かせて考えてみて欲しいのだが、自分を何回か陥れようとした人たちが、身の回りの人に接触し、自分の気づかないような形で交流する。

ちょっとした、いや、かなりの恐怖である。

もしも昔はワルだった、というにしても2020.10月-11月時点で誹謗中傷等をしているので、昔の事にするには少し無理がある。

人をゆるして、その場を楽しみたいと思ったとして、どれだけ傷ついてその場に存在し、また同じような事を繰り返す人、その人達に対してまた労力をかけること。。

世の中には言ってもわからない人は確かにいる。
また全ての人が、心のバランスを崩して他人に悪さをする訳ではない。
しかし集団で、個人に対して長期的に個人が嫌だと感じる行為、尊厳を損なう、弱体化を目的とした行為をするのは度が過ぎている上に、人としてあるまじき行いである。

インターネットの人間関係により病む人、突発的になくなる人、多くの悲しく痛ましい事件が多発している。

世の中に貢献することも大切だが、人一人ひとりを思いやる当たり前の思いやりの心を持ち合わせていきなくては、誰かを、何かを犠牲にして笑っているような、黒い心を持つような行動は当たり前だがしてはならない。

分かち合いも大切であるが、奪い過ぎやり過ぎには人を思いやるこころは無いように感じる。

今コロナ禍で多くの情報が飛び交う中、よりよく生きるには「ワクワクに従え、自分を満たしてから、波長を、」などというワードを見たがあるが、本当に大切なことは、われ先にと他人を犠牲にして突き進むのではなく、嘘に惑わされず目の前の人、一人ひとりを思いやる心なのではないだろうか?

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