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数字で着膨れしてない?


数字。データ。分析。
ビジネスの枕言葉になりつつあるよな。

いや、仕事じゃなく日常でもよく見る。
口コミサイトだって、数字を提供してる。

確かに数字は、分かりやすい。
感覚が介在しない分、誰でも同じように情報を扱うことができる。

データ、数字にはブレがない。
だからと言って、正しいわけじゃない。

確かに数字は便利だけど、それに執心しすぎて、逆に身動きとれなくなってない?って話をしたい。



感覚より数字の方が優れているっぽい風潮があるのは、なんだか悲しい。

感覚は、その人自身の統計結果、もろもろを端折って表された結論。
その裏に、根拠に、数字が存在している。

細かい数字を出すよりも、感覚で答えを出す方が、手っ取り早いと正直思っている。
「なんとなく」ってだいたい芯食ってるから。

その代わり、感覚を覚えるためにも、その確度を上げるためにも、沢山の情報を吸収しておく必要はある。
AIの機械学習と同じこと。

機械がやってることは、人間がやってることを数値化してやってる。

偏った情報だけ集めたら、データだって、数字だって、的確な指標を出すことは難しいわけで。

そして、機械は数字という言語を使用するから、数字を上手に扱うことができる。
逆に人間はと言えば、言葉という感覚的な言語を使うから、数字に強い人は多くないと思う。



僕から見ると、数字に捉われすぎて、その仕事ばかり増えている印象がある。

そして、データを集めるのは良いし、たくさん、こまかく、数字を出すのも良いんだけど、肝心の人間側が扱いきれてない。

一応、今まで所属した会社は、どこもそう。
めちゃくちゃ大手の会社に入ったことはないから、そっちは知らないけど。

数字を打ち込むこと、数字をまとめることばかり躍起になって、全然活かせてない。
変わったのは「数字を集める作業」であって、「数字を使った施策」は取られてないように見える。

数字が貯まれば、法則は見えるけど。
それをどうアクションに変換するかは、人間の仕事だからね。

それができないから数字を使うことを考えたんだろうけど、そもそもできないんだったら、数字があっても出来ないよ。



あと、これは何かの本で読んだことだけど。

研究にはセンスが必要らしい。
研究って大概数字と計算を使う。
ということは、数字を扱うにもセンスが要るとも言える。たぶん、言える。

その本に書いてたことをざっくり説明すると、
「数値の羅列にある違和感に気づくこと。目の前の気になるを数値化すること。そして、仮説という想像力がなければ、何も見つけられない」
って感じだったと思う。

言ってしまえば、数字を扱うのも、感性と想像力が必要ということだ。

センスじゃ太刀打ちできないから、数字を使うんだろうけど。
その数字を利用するのにも、センスが必要。

数字を集めるよりも、まず、センスを磨いた方がいいんじゃない?って思う。

こういうこと言うと、
「じゃあ、どんな磨き方が良いのか、データを取ろう!」
とか言い始めたりする気がする。

やっぱり鬼ごっこって、色褪せない楽しさがあるんだな、って気づくよね。


数字ってすごい発見だし、発明だからさ。
そういうのはすごい人に任せとこ。

僕はゆっくり今を味わう生き方で良いかな。


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