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見られてないから書きやすい

ブログを再開して数日たった。いや、3日経った。
今までほぼ毎日していたことをパッタリ辞めると、数日関わっただけでもめっちゃ長く感じる。

そういう点では、ブログも仕事も同じかもしれない。1年半ぶりの会社は大変だ。なかなか疲れる。

ブログの話に戻すけど、これまでは毎記事少しずつではあるけれど、スキを押してもらえていた。
今はゼロだ。

けど、ブログは格段に書きやすくなった。

見られること、評価されること、何かに役立てようとすること。そういった外との関わりを断つと、本当の意味での趣味になる。

いや、どんな形でも本人が趣味と思えば趣味なんだけれど、どこまでも自分本位な活動のことを趣味と呼びたいと思っている。

ありがたくはあるけれど、今まで見られてしまっていたことで、カッコつけてしまっていたらしい。

こんなつもりはなくとも、人は自然と指向性のある行動をとるってことだ。


***


同じような現象として、彼女が出来てから、格好良く振る舞うことがなくなった。

決して、気障ったらしい発言をしたり、男っぽい意地の張り方をしていた訳ではない。
今思い返すと、自然体じゃなかったな、と感じるだけ。

むしろ、男らしさや好かれようとする行動は避けていた。なんとなく嫌だったからだ。
恥ずかしかったのかもしれないけど、一定の態度で人と接したかったからだと推測している。

格好つける。

言い換えると、括弧つける。

言葉遊びではあるけど、それなりに芯をくってると思う。

自分自身を型にはめて、ある一定の印象を持たれるよう縛ることが、格好つけること。
人と関わる時は、括弧で分かりやすく囲むことで、コミュニケーションが円滑になる。

彼女ができたことで、他の人を気にすることがめっきり減った。良いことかどうかは、考えないことにする。

けれど、正直に言えば、自分に関与することがない人のことまで考えるのは、面倒だし、コスパが悪い。
どれだけ取り繕おうとも、じゃがいもや里芋が転がってるようなもの、と感じてしまっているのだから。

そう考えてしまうことに関して、芋に対しても、他人に対しても、多少の申し訳なさはあるけれど。

とにかく、楽になったのだ。
生活することが、生きることが。

本当に集中したい物事に集中できるのは、幸せの内の一つだと本気で思う。
余計なものは無駄ではないが、邪魔になるのは否めない。

そこまで来たら、好みの問題だ。

となると、この記事やこのブログ活動は、はたして余計なのか、余計じゃないのか。

どうなんだろうな。
答えを探すつもりは、今はない。

では。

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