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大きな目標はツチノコを探すのと同じ


大抵の人間は、目処がないと頑張れないと思う。

「頑張ろう」という気持ちは、目に見えるゴール、もしくは、具体的にイメージできる地点でなければ、維持するのが難しい。

いわゆる「すごい人」、要は何かを成した人って言うのは、壮大な夢や目標を掲げていることが多いけれど、それは3つのパターンに分けられる気がする。

  1. 夢を追い続ける胆力か執念がある人

  2. 孤高の自信家か尋常でないナルシズムがある人

  3. 運のいい人

何が言いたいかと言えば、すごい人と同じようなでっけぇ夢を掲げたとしても、凡人にとってその手法は瞬間的な効力しか生まない、ってこと。

ただ、それだけ大きな目標を達成するには、そこを目指すこと自体は必要だと思うから、悪手ではないんだけど。

だから僕は、そういう頑張り方をする人を、ツチノコ探索者と呼んでいる。



たぶん、このことは誰しも気づいてることだと思う。それでも、人は遥かな夢を抱きがち。

その理由は、細かい目標設定をめんどくさがる習性と、イメージからの逆算が苦手なのと、手段が乏しいからだと予測してる。

あと、前提として、人は「たくさん」を見ると頭が回らなくなるせいで、チャートを組みたくない気持ちが生まれることも障害となる。

以上の点から、人は大きな夢や目標の方が、設定として楽なために、その選択肢をとってしまう。

さっきも書いたけど、ツチノコ探索法は、初速が出やすいし、その分小さくても成果が生まれやすいから、「間違ってない」と思いがち。

それが落とし穴なんだけどね。

自分が平凡な人間だと思うなら。
そして、それでも叶えたいものがあるなら、一段一段昇ることを選ぶ方がおすすめ。
早く到達したいなら、歩幅を大きくするより、足の回転数を上げた方がいい。



最後にちょっと話を逸らすけど。

この考え方は、人に指導するときも通用する。

指導が上手い人は、目処に集中させる。
ステップが多くなると疲弊してしまうから、そのステップは指導者が管理して、教わる側には最終到達点への筋道に乗っていることを伝える。

指導する上で、自主性を求める人が多くなってるけど、自主的に考えれるようになるには、ある程度の知識や経験が不可欠。

それがない状態で考えるのは、できなかないけど、及第点が取りづらく、当人の自尊心は削られるケースが多い。

そういう指導が多数なのは、教える本人もなんとなく仕事を覚えてきたからだと思う。
教育ってそんな感じだからな、幼少期に知った仕組みを踏襲してるんだと思う。

要は、その人のせいとは言いづらいってこと。


この方法が常に正しいとか言うつもりはないし、そもそも結果が出てしまえば、その仮説は一旦成立してしまう。

正解探しに躍起になっても、それは沢山の正解を知るだけのこと。

自分の目の前に、自分用の目標を立てたいよね。


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