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終わりが良くないと、全て良くない。


今日は結局、しょっぱい一日で終わった。
終わりが悪いと、朝いい気分でスタートしても、なんだかモヤっとして終わるらしい。

あ、今日の内容は愚痴のような、嘆息のような、煤けた内容になる。

そこの稀有な読者の方。
自分が公開しておいてなんだが、意味のある内容でもないから、ブラウザバックを薦める。


話を戻して。

今朝はいつもより早く起きた。せっかくならと、スタバで20分程度日記を書くことにした。
朝の日記は、なんとも言えない心地よさと解放感がある。気分は爽快だった。

昼過ぎまでは良かった。自分の仕事はこなせていたはず。問題があれば、明日分かるだろう。
とにかく、いい感じで進んでいた。

夕方から、様子は変わる。指示を受けた業務が全然進まない。何かする度に、確認が必要で作業は停滞するばかり。僕はその仕事をしたことがないため、立ち往生。指示した担当は忙しくて対応できない。そんな状態が続き、結局タイムアップ。その作業の1割も作業できないまま、帰宅することになった。

今は、帰りの電車でこれを書いている。


担当者からは、「自分が抜けていたから問題ない」とは言われたものの、なんだかモワッとした感覚を受け取った。モヤっとに近い。

それは、疲労感なのか、反省なのか、憤りなのか、選択ミスへの後悔か。
内容は分からないが、何かしらの目盛りが減ったような感覚が飛んできた。

自分はわかる範囲で対応したとしても、こんな結果じゃ相手のフォローも響かない。いや、フォローのニュアンスが違えば、また僕の気分も変わった可能性は多いにあるけど。

信頼感を気にしすぎる嫌いは元々あるが、正しいかどうかは置いておいて、その機微を感じ取ってしまうのだから、気にしないようにするのはかなり難しい。習性をシステムで消すのは難儀する。

ただ、そればかりに囚われていては、体力もメンタルも持たなくなるのは目に見えている。
対応すべき課題であることは間違いない。


こういう、「何かできたかもしれないけれど、振り返ると何もできなくて、向け先のない反省だけがそこにある、モヤモヤとしたなにか」というのは、どう解消すれば良いんだろうか。

逆に、抱えておいた方がいいんだろうか。
数日ならいいが、できれば1週間は持ちたくないのが本音だ。

本来なら、解決するのが一番。けれど、あまりにも感覚的なこと過ぎて、本人確認するのも気が引けるし、そもそも同じ返答が返ってくる可能性が高い。

というか、本人の感覚と僕の感覚に大きな違いがある可能性だってある。そんなことを考えていくと、結局は笑い話になるまで待つことでしか解決の道はない気がしてきた。いや、さっきも言ったけど、本人に聞く選択肢も存在はする。ただ、その選択はベストでないし、ベターですらない。バターでも、ない。

どうしろというのか。
どうもするな、ということなのだろうか。

考える時、余白はこうも思考を不自由にするのか。余白も使い物だな。


散々書いてきたけど、リフレッシュして明日を迎えるしかないわけで。

だから、今日は美味しそうなパンを買った。
駅の中にある、ちょいちょい見かけるチェーン店だけど、気になってたんだよね。
ついでにスタバで日記の続きを書こうかと思ったが、満席で諦めた。シンプルにカフェで満席ってすごいよな。

こうやって、誰かに吐き出すのは憚られるような話をnoteで少し成仏させることで、気を晴らそうとしている自分が、なんだか情けないけど、なんとなく「生きてんなぁ〜」と感じてしまう。

良いとか、悪いとかの話ではないのだ。

外に出す。

これが大事だ。
これだけ書いて、ちょっとしか気分が晴れなくても、良いのだ。

思考も糞も、溜めて良いことなんてない。
快便であれ。


では。

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