エンデューロの聖地といわれた大地

みんな忘れてるだろうけど、北海道のエンデューロはヒダカだけじゃなかった。オフロード雑誌で北海道3大エンデューロと呼ばれた当麻フォレストエンデューロ(通称当麻=とうま)、北緯45°エンデューロin中頓別(なかとんべつ/通称ナカトン)、Hidaka Two Days Enduro(HTDE=ヒダカ)のほか、Survival Two Days Enduro in 木古内(STDE=きこない)、エンデューロinレースイ(夕張)、美幌エンデューロ(びほろ)、はまなすエンデューロin小清水(こしみず)なんかも知られていた。恵庭とか興部(おこっぺ)もあったな。もちろんそれ以外にもたくさんあったんだろうが、SNSがなかった当時は雑誌に取り上げられないとなかなか他の地域まで情報が回らない事情があった。(※1)

そんな事情のせいで、雑誌に何度もレポートが載ったヒダカだけが有名になった感があるが、地元北海道のライダーは実は一番厳しいレースはナカトンと言ってたし、木古内だって終盤は高速化が進んだけど、90年代には杉の作業道で押しが一番強い人が勝ったと言われた年があったし、鉄塔道で厳しかった年もあったと聞いてる。要はそれぞれが特徴あるレースで、どれもなくなってしまった今となっては懐かしむしかない。

この手のレースは1980年後半から始まり、90年代半ばに最盛期を迎えた。それは当時さかんだった村おこし運動と関連していたように思う。だから賞品が、たとえば当麻ならでんすけすいか

https://www.saihok.jp/c/00/06/0268

だったりしたし、どこのレースだったか覚えてないが、木工の凝ったトロフィーを自慢されたこともあったな。そんなふうに地方色を押し出してくのが当時は多かった。レースの受付で地元の観光パンフレットを渡されたりもした。婦人会や青年会がテントたてて炊き出しとか販売してくれることもあった。

1988年にふるさと創生事業が実施され、用途を指定しない交付金が初めて地方自治体に交付されている。あの頃は交付金で宝くじを買った自治体や村営キャバレーを作った自治体が話題になったが、つまりはモーターサイクルごときにも村の予算を使ってくれる雰囲気があったわけだ。
日本経済が傾くにつれそんな余裕はなくなったし、地球温暖化が取り沙汰されるにつれバイク、特に山野に分け入るオフロードは悪者になったので予算もつきにくくなっていく。そして北海道でさかんに行われていたオープンエンデューロも2000年前半にはほぼ消滅した。

話はもどって3大エンデューロのそれぞれの特徴を一言で表すなら、スピードの当麻、ヤチのナカトン、オンタイムのヒダカ。

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