鳥海の頃はまだEDライセンスがなかった。ライダーも別にISDEを目指してなかったし、オンタイムだから出たかったわけでもなかった。そもそもシリーズ戦じゃないからポイントもなかった。でもオープンレースだから人気だったんだ。

みんな忘れてるだろうけど、前にこんな記事を書いた。



あれを経験した身としては、流れてきた写真は懐かしさの権化だった。

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そこから俺は思い出話を独りで語り出した。いつもながら寂しい奴やのう、俺ww





で。

自分でこれだけ呟いといて、これらのツイートが不自然なことに気づかされた。
ンマー氏のこのツイートを眺めた時に、「さっきの俺のツイート、今の感覚で呟いてんな」と違和感を覚えたんだよ。



あのころ=鳥海(CTDE)が開催された頃は、まだMFJのエンデューロはなかった。ヒダカ経験者の一部がISDEにようやっとクラブチームで参加し、「いつかトロフィーチームを出したい」と言い出し始めた頃、それがあのころだ。

それでもトシ西山氏が独りで参加してた時代よりは、グッと進化してたんだぜ




つまり、俺たち一般ライダーの大半はISDEなんか目指してなかったし、トロフィーチームに興味もなかった。だから「世界で通用するライダーになるために」鳥海に出たわけじゃない。

それはたぶん、今のJECに出てるライダーも(大半は)同じだと思う。


あの頃の俺たちは、ただ、ただ、「おもしろいレースをやるらしいぞ」と集まってきただけだ。
それは鳥海だけでなく、ヒダカにしたって同じこと。オープンレースは、それだけで魅力的だった。

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