バイクメーカーが開催したエンデューロ

みんな忘れてるだろうけど、かつて4メーカーがこぞってエンデューロを開催していた時代があった。時期的には、80年代半ばから90年代半ば。
以下、名称を書いておく。()内は声に出して読むとき。

今でもたまにロゴの入ったジャケットとかポロシャツなんかを着てる人がいて、見かけると俺はニンマリしてるよ。

ホンダ
H・A・R・T(ハート)
Honda Active Riders Terminal

ヤマハ
Y.E.S.S.(イエス)
YAMAHA EARTHLY SPORTS SYSTEM

スズキ
JAJA-UMA CLUB(ジャジャウマクラブ)

カワサキ
KAZE(カゼ)
Kawasaki Amusing Zone for Everybody

スズキのは クラブ を端折って ジャジャウマ と呼ばれることが多かった。大会名はさらに略して JAJA-CUP

KAZEは現存している。
https://www.kawasaki-motors.com/kaze/


これらは基本的にユーザーサービスのメンバーズクラブ。会費を払えば誰でも入会できた。
入会するとメンバーズカードが発行され、ちょうどJAF会員みたいなもんで、優待制度があったり、スポーツ安全保険に加入されたりした。

たとえばH・A・R・T会員になると、ホンダのエンデューロ出場時に受付で書類に必要事項を記入し、メンバーズカードを提示したら保険が無料で有効になった。(会員以外は当日保険で500円+書類記入。強制ではなくて希望者のみ)

また、同名の会報誌を郵送で送ってくれた。(最初は毎月だったが、やがて隔月、のちに季刊になるなど、時代が下るにしたがって縮小されていった)。

20~30ページの薄い冊子だったが中身は総合バイク誌並みに充実していた。ヤマハのみ名称が違って、冊子名は WAY(ウェイ)

そして、それぞれの名前を冠したエンデューロレースが全国各地で開催された。そこに参加するのに上記の会員であることは条件でなく(会員だとエントリーフィー割引があったりした)、マシンもメーカーを問わず参加できた。

他メーカーのユーザーでもバイク乗ってるなら一緒に遊ぼう、いずれうちのバイクに乗り換えてくれればいいさ というおおらかさがあった。

実際の運営は地元支社や系列ショップが担当。系列店が複数集まり、協力してレース運営をしているパターンが多かった。

おそらくだが、メーカーから協賛金も出ていただろう。もしかしたら、販売促進のために開催を指令していたかもしれない。そのくらいメーカー主導のレースが多かったんだ、あの時代。

出てくる賞品や参加賞も販促品が混じっていたし、これ売れ残りじゃね?と思われるスクーターがジャンケン大会に出てくることもあった。そう、たとえばホンダのzook。

優勝すると、あるいはジャンケン大会で勝つと、これを貰えたりした。たま~に、だけどな。豪勢だろ?

他のスクーターが出てきたこともあったらしいが、俺は見たことがない。そんなわけで これ売れ残ってんだな って噂になったりしてたけどさ、でも貰えたらやっぱりみんな喜んでたよ。

メーカー主催だからできたことだし、賞品を奢るほどメーカーもイベントに力を入れてた証だ。

ただそれは、メーカーがレースに熱心だったというより、そういう楽しみ方ができるトレール車が続々デビューしたからだ。売り物があるからこそ、販促費を投入できた。営利企業としては当然だ。

イベントを開催することで俺らユーザーは楽しめて、メーカーは毎年のように買い換え需要が生まれて、まさにWin-Winな好循環があった。

具体的にいうと、

1984年ヤマハDT200R発売

1986年カワサキKDX200国内販売開始

1989年ホンダCRM250R発売

1996年スズキRMX250S発売

が大きなムーブ。後述するように、このタイミングで 会場の色味 が変わった。

いちいち書かないが、間にマイナーチェンジとフルモデルチェンジがいくつも入る。ほぼ毎年。

あと、モトクロッサーでエンデューロをやる人も珍しくなかったので、各メーカーのモトクロッサーが80,125,250で参戦してきてた。さすがに250は少なかったが。でもたまに500で走ってる人もいたね。


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