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探偵への食事療法


#1
子供時代に耽溺していたアニメーション作品に「名探偵ホームズ」がある。
「シドニー・パジェットの挿画が抜け出た」と評された、名優ジェレミー・ブレットによるBBC版「シャーロック・ホームズの冒険」シリーズと並び、
似非シャーロキアンとしてこの東映アニメーション版「名探偵ホームズ」は決して避けて通ることはできない。

宮崎駿がキャラクターデザインを手掛け、伊・日共同作品として作成されたこのシリーズは、スポンサーサイドの意向から登場キャラクターがすべて犬にカリカチュアライズされたという。
しかしその中で、ハドソン夫人だけは当初、人間のままキャラクターデザインされた。
最終的には彼女も犬をベースとしたキャラクター描写となったが、それでもその佇まいには、宮崎駿の各作品に通底するファムファタール像のアトモスフィアが、偏執的に薫り立っている。

#2
劇中で、ホームズの宿敵であるモリアーティ教授は、ホームズへの意趣返しのためにハドソン夫人をかどわかす。
アジトで目覚めた彼女に対し、モリアーティは手下とともに、この誘拐はホームズとの対決のためにやむを得ないこと。決して夫人に危害を加えないことを、時代と社会に弾かれてしまった独身中年男を体現したかのような、珍奇で薄汚いアジト内で宣誓する。アロンソ・キハーノのかくやの、滑稽な物悲しさとともに。

外回りを終えてアジトに戻ったモリアーティは、部屋の扉をあけ「家を間違えたかな」とごちて扉を閉めようとする。
見違えるように整理された室内からエプロン姿で現れたハドソン夫人は、玲瓏銀の如きあの声(CV:島本須美)で、「お帰りなさい」と言う。
私はこのシーンを、おそらく終生忘れない。

#3
シャーロック・ホームズ、ファイロ・ヴァンス、ドルリー・レーン、沢崎、島村圭介、牧野草二郎、etc。
探偵小説、ハードボイルド小説の群に生きる登場人物には陰と傷があり、その濃さと深さの分だけ読者の心を捉えて離さない。
言い方を変えれば、どれほど主人公としての既得権益を作者から付与されていようとも、そこに陰と傷がなければその探偵は単なる装置に堕す。
物語における終幕の大鉈を振るうだけの機械仕掛けの神には、自分は魅力を感じない。榎木津礼二郎では駄目なのだ。

アルコール、煙草、過去の再来、別離、寛解する傷、新しく穿たれる陰。
そうした記章を帯同しながら生き続ける、端正で不器用な存在の総称として自分は「探偵」を用いる。
探偵は大抵ワーカホリックで、良くも悪くも切れ過ぎる頭脳を持ち、生活は爛れている。食生活など顧みたこともないだろう。
そんな探偵の、社会と生活に対するアンビリカルコードこそがベイカー街221番地を護るハドソン夫人であり、「朝食を食べていきたまえよ。夫人の作る卵料理は絶品だからね」と相棒に語るホームズのその声色には、きっとどれほどの知的興奮と肉体的疲労の最中にあっても、夫人がこさえた、確たる滋味への穏やかな信頼が込められていたはずだ。

#4
dewey delta 2nd 「Jasminized Sequence」に収めた「A Foolish Confidential」と「探偵への食事療法」は、2055年のオービタル・エイジアに生きるホームズとハドソン夫人の物語である。
軌道上のコロニアル香港で酒と事件に溺れる探偵に、過去がドアベルを鳴らしに来る。
昼夜を繰り、管制下の太陽に灼かれる十字路上で依頼のすべてを完遂した後、この空漠と同じような朝があったことを、彼は思い出す。
煌めく雲母のような胡瓜、つまめそうなほど強靭な茶香のヴェール。雨に塗られた払暁の下、無人の屋台街で、完璧なそれらを供した店員がいたこと。
その瞳が訝しそうで、とても美しかったことを彼は唐突に思い出している。

*
書き起こしながら、そうだそうだ。俺はtaira名義で、探偵組曲を作ろうと思っていたのだ、ということを思い出しました。
#3に出てきたような、自分の人格形成を為したキャラクター達へのDedicated toを作ろうと突然思いついたのが一年ほど前。
妄年は巡り巡って、このような2曲となりました。
「探偵への食事療法」には、前作に続きInearさんに歌唱・朗読をお願いしました。
まさにイメージ通りの表現を為して頂きましたことを、ここで深く御礼申し上げます。

(taira)


#deweydelta

#JasminizedSequence

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