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父に言えなかったこと

韓国演歌の名曲に「雨降る顧母嶺」がある。
 作曲:バクシチュン 唄:ヒョン・イン

韓国の大邱に顧母嶺峠という場所があり、顧母嶺伝説とともに、
故郷にいる母を想う歌「雨降る顧母嶺」が生まれたところだ。
この歌は、日本から独立した翌年の1964年、
日本帝国主義の時代 
故郷を離れて北に残していた人々の悲しみを込めた歌で
多くの人々の心を鳴った流行歌だった。

顧母嶺伝説

昔 日帝時代に慶山の小さな町に一人の女性が住んでいた。
夫を早くに亡くし、一人で二人の息子を育てながら住んでいたが、
独立運動をしていた二人の息子が、
日本人に捕まって、ずっと大邱刑務所に閉じ込められていた。
夫なしで育てた二人の息子がずっと刑務所に行っていることが
母として耐えがたい悲しみだったので、
時間さえあれば刑務所に面会を行ったりしたが、
その日も大邱刑務所の息子を面会し帰り道であった。
顧母嶺峠に着いたが、その日に限って雨が降り、
息子に対する懐かしさと悲しみで顧母嶺を越えて来た母は
思わず後ろを振り向いてしまった。
慶山に行くためには必ずその峠を越えなければならず、
その峠を越えれば大邱がこれ以上見えないから、
しきりに後ろを振り向くようになったのだ。
このようにしてこの頭を振り向けるという、
(顧)と(母)を付けて顧母嶺と呼ぶようになったという。

父はソウル生まれソウル育ちのお坊ちゃん。
五人生まれの末っ子で祖母が40歳の時の子である。
年がいってからの子供だったので、
かなり甘やかされたと父の死後、伯母が言っていた。
大学生のとき、朝鮮戦争が勃発した。
末っ子の身を案じた祖母が、
国連軍に紛れてアメリカへ行くようお金を持たせて逃がした。

佐世保港に就航した時に、
持っていたお金をアメリカ兵に盗まれ、
アメリカに行くことができなくなった。
その後韓国に帰ることもできず、
在日が多い関西にやってきて、母の母、在日1世の私の祖母に出会った。
祖母は尼崎で食堂をしており、料理が上手で話も合うので、
父がよく通ってきたという。
母は当時高校生で、学校が終わって食堂に祖母の手伝いをしていた。
私の父はこのとき母と出会った。

父と母の結婚式は、父がお金がなかったので、
尼崎の区民ホールみたいなことろで、
お弁当とお酒だけの粗末な結婚式だったと、
今でも母が悔しそうに話す。
母の姉が料亭で結婚式を挙げたのが悔しいらしい。

祖母は尼崎の在日の中ではちょっとした知られて人物であった。
祖母は釜山出身で、司法書士の曽祖父の4番目の娘。
法事やしきたりに詳しく料理が上手だったので、
韓国の冠婚葬祭をよく頼まれたりしていた。

父と母の結婚式には、そんな祖母の知り合いが来ていて、
お弁当だけの結婚式に不満そうだったらしい。
結婚式の途中、父がいきなり「雨降る顧母嶺」を歌い出した。

祖母のうるさ方の知り合い達は、
朗々と歌う父の「雨降る顧母嶺」を聞いて涙を流し始めた。
式が終わって祖母が母に、父があの歌を歌ったので場が和んだと言ったそうだ。

この話を私は何回も母から聞かされてた。
母は韓国語が話せないので、曲は知っているが曲名は知らなかった。
曲名が知りたいといつも言っていた。

母がコ・ヨンジュンという歌手をKBS歌謡番組で見つけ、
もっと聞きたいのいうのでYOUTUBEで検索して
YOUTUBEを使って聴けることを教えた。
母は使っていくうちに、ジン・ヘソンというトロット歌手を見つけた。
その歌手が、昔の韓国演歌の大御所の曲を歌っている中に
「雨降る顧母嶺」があった。

母は父と結婚して、60年ぶりにその曲を聴いた。
そして私に教えてくれた。
この曲を父がどんなに朗々と歌ったかを。

2018年、父の遺骨をソウルのお寺に納めた。
ソウルには父方の先祖の墓が無いので、
父が祖母のお葬式をしたお寺に遺骨を納めた。

1981年 51歳で亡くなった父をやっと故郷に帰すことができた。
20歳までソウルで過ごし、戦争によって母国を逃れ、
借金苦で自殺をして失意の中死んでいった父。
社交的な父は外交官になりたかったらしい。
戦争がなかったら、韓国で別の人生があったかもしれない。

2018年4月27日 南北首脳会談が板門店で行われ、
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は27日午前9時過ぎ、
文在寅大統領が手を差し伸べて
南北の軍事境界線をまたいで韓国側に入った。
父が生きていてこの瞬間を見たらどんな反応をしただろう。
父が亡くなった時に泣けなかった私も、
この中継を見ながら父の思いを考えると目頭が熱くなった。

私は父から虐待を受けたと思っていない。
でも父と母の夫婦喧嘩の影響で、いつまでたっても喧嘩に慣れない。
言い争いが苦手で、言いたいことが言えない。
腹がたっても怒ることが出来ない。
言い返すことが出来ない。
怒っていると伝えることが出来ない。
怒るより泣いてしまう。
怒れないから悔しくて泣く。

お父さん、もうお母さんと喧嘩しないで。

あぁ、これが言いたかったんだ、私は。



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