見出し画像

木下結子、新曲「百滝桜」と作詞家・高畠じゅん子を語る

少しずつでも花を増やして、よりたくさんの人に楽しんでいただけるような桜になっていきたい

「百滝桜」は知る人ぞ知る存在

――9月21日に新曲「百滝桜(ももたきざくら)」が発売されました。この桜の木は大阪の和泉市に実在するものですが関西では有名な存在なのでしょうか?
木下 いえ、私も知りませんでした(笑)。地元の方もあまりご存知ではないと思います。個人宅の庭に植えられている木で、知る人ぞ知る存在なんです。
――そういう桜の木を、この歌を作詞された高畠じゅん子先生はどうやってご存じになったんでしょう?
木下 じゅん子先生は一本桜がお好きで、以前には奈良県宇陀市にある又兵衛桜を題材にした「又兵衛桜」という歌も書かれているんです。今回、私の新曲を書いてくださるに当たってインターネットで私の地元・大阪に一本桜がないか探されたそうでなんですけど、そこで見つかったのが百滝桜で、名前もきれいだからということで題材に選ばれたということでした。
 その話を伺ってすぐに車で観に行ったんですけど…、以前は沢山の枝がそれこそ滝のように垂れていて、その名に相応しい桜だったのが、台風で多くの枝が折れてしまったらしく、今ではとても地味で可哀想な印象の木になっていました。それでも人気のサイクリングコース沿いに立っているので、自転車の好きな方々には今も愛されていると聞きました。
――歌詞を読むと、地味な桜ではなく強い生命力を感じさせる立派な木の躍動感が伝わってきます。
木下 長い間にわたって幹や枝を伸ばし、葉を繁らせ花を咲かせて多くの人に愛されてきた桜の木は、今でこそ痛々しい姿になっていますが、それでも毎年花を付けていて、その姿をいろいろなことがありながらも今日まで歌い続けてきた木下結子という歌い手の人生に重ねて作詞してくださったんです。自分で言うのもなんですけど(笑)、私にも百滝桜ほどではないにせよ強さというものが備わっているようには思いますし。
――歌詞には文学性が感じられて、単純で簡単というわけではない分、深みがあります。
木下 じゅん子先生の詞は簡単ではありませんね。初めて詞をいただいた時からそれは感じていて、知らない言葉が使われていて意味を調べたり、何度も読んでその詞が訴えているものを捉えたり、私も勉強しながらここまで歌わせていただいてきました。
――わかりやすい詞をチューインガムとすると、高畠作品はスルメイカのようなものと言えるでしょうか?
木下 そう、噛めば噛むほど…っていうところがありますよね。聴いてくださる方にも「あなたの歌はいい歌だけど難しい」って言われることがあって、どうしたらよりよく伝えられるだろうかと悩みながら歌っているというのも事実です。
――それでもこれまでの作品が愛されてきた背景には、詞の持つ力、曲の魅力と共に木下さんの表現力があると思います。
木下 作家の方からいただいた作品を、多くの方にお届けするのは歌い手の使命ですからね。おっしゃるような表現力が私に備わっているかどうかはわかりませんけど、努力はしてきたつもりです。

最近ようやく自分のやり方、生き方はこれなんやなと思えるようになってきました

――木下さんの歌は、どの曲を聴かせていただいても、演じていることが感じられて、とてもドラマティックに伝わってきます。
木下 先ほども言いましたけど、先生の詞は易しくはないのでレコーディングに入る前に言葉の意味を調べたり、内容の解釈に時間を掛けたりしますけど、いざ歌うとなったら何も考えません。それまでに準備したものをベースに置いて自分が感じるままに歌ってます。歌うというより、おっしゃっていただいたように、演じていると言った方がいいかも知れません。と言うのは、先生の歌に出てくる女性たちと私自身がかなり違うからです。先生が描かれる女性の多くは、自分の気持ちや考えをストレートに相手に伝えることができて、逆境にあっても自らの意志を貫こうとする強さを持っています。でも、私は言いたいことがあっても言葉を呑み込んでしまうことが多いし、先頭に立って進むより誰かの後についていくようなタイプなんです。だから、普段の私のままでは高畠先生の歌の世界では浮いてしまいます。それで演じることに徹しているんだと思います。
――芝居や歌では自分そのものや似たキャラクターよりも別人格の方が演じやすいという声も耳にしますが…。
木下 私は自分の素のままで歌える方が楽です。高畠先生が書かれた歌でも「半夏生(はんげしょう)」「チャオプラヤ川」「アカマンマ」なんかはそういう作品で、先生には「こういう優しさは結子にしか出せない」と言っていただきました。「半夏生」は嫁いでいく娘の母への想いを歌っていて、「チャオプラヤ川」はタイを流れる川を舞台に、苦しく辛い人生を強いられている世界中の子供たちの幸せを願う歌です。そして「アカマンマ」は成長する娘への母親の愛情をテーマに書かれています。
――3曲とも恋愛の歌ではないんですね。
木下 そうですね。
――つまり、恋愛となると、木下さんと歌の主人公たちの人物像がかなり違うので演じていらっしゃるということですね。そして、これも素の木下さんで歌える作品、「百滝桜」が好評です。
木下 お蔭様で歌のランキングにも入ったなんて聞いてます。本当はもっと気にするべきなんでしょうけど、以前から「チャートで何位に入った」なんていうことを気にしない性質で、そういう情報は周りの誰かから聞いて、あぁ、そうなんやって思うくらいなんですけど。
――その方が歌の表現に集中できて良いと思いますが…。
木下 私ってどの曲の時もそうなんですけど、ヒットさせなきゃ、売らなきゃっていうことじゃなくて、その曲の本質や魅力をどれだけ伝えられるかが大事だと思って歌っているんです、周りのスタッフやファンの方には歯がゆいって思われることも多いでしょうけど。先日もラジオ番組に出させていただいたら、話の大半が「ノラ」の話題になってしまって、「百滝桜」のPRがほとんどできなかったことがあって、あぁ、これではいけないって後で思うんですけど…。
――でも、PRに精を出す前にまず曲の良さをしっかり伝えようとする心掛けが今の木下さんの表現力を生んでいるんでしょう。
木下 自分のスタイルを守ったとか貫いたなんていうような立派なものではなくて、私にはそれしかできなかっただけなんですけど、自分が決めたように歌い続けてきたら、最近ようやく自分のやり方、生き方はこれなんやなと思えるようになってきました。ただの不器用なんですけど、適当に合わせることが得意ではないんです。人付き合いは悪い方ではないと思うんですけど、自分の中に「これだ」と思うものがあったら譲れない、と言うよりやっぱり合わせられないんですね。
――それでも高畠先生やファンの方々のように長く木下さんを見守り、応援してくれる人たちがいます。
木下 それはデビューからサンミュージックプロダクション、日本コロムビアに所属していた期間にスタッフの方々に教わったことが大きいと思います。それを今日までずっと大事にしてきましたから。若い頃にお世話になった作家や評論家の先生方が今でも気さくに声を掛けてくださったりしていて本当にありがたいと思うのと同時に、当時の私を指導してくださった方たちに改めて感謝したい気持ちになります。

これからどないしよう?って途方に暮れたこともありました

――若い頃からのお知り合いが変わることなく接してくれるのは、木下さん自身が変わらない姿勢で歌い続けているからでしょうね。
木下 したくない勉強もいくつかしましたからね。つい人を頼ってしまったりして、気が付いたら裏切られていたというような…。そういう経験が私をより頑固にしたような気がします(笑)。
――それは頑固さではなく強さと言うべきものでしょうが、人はみな弱いものですから誰かに頼りたくなることもあると思います。近年は新型コロナ感染症の流行などもありますし。
木下 そうですね、コロナが流行ってからは、私もここが潮時かなと歌から離れることを考えた時もありました。それでも歌い続けようという意志だけは失くさずにいたところ、ホリデージャパンの社長が「うちでやりませんか?」って声を掛けてくださって、お互いの思うところが一致したものですから、お世話になることに決めました。それで移籍第1弾をリリースしたのが2020年の10月です。
――木下さんはサンミュージックを離れて以降は、どこのプロダクションにも属さずに個人で活動してこられました。その中で“したくない勉強”もされたということですが、それでも着実に歌の道を歩み続けて新曲「百滝桜」の発売にまでたどり着いています。厳しい歌謡界で、それは単身で険しい山に挑む登山家のようにも思えます。
木下 そうですね、途中でどん底まですべり落ちて、これからどないしよう?って途方に暮れたこともありましたからね。それでもやっぱり歌が好きだし、それしかできないから、また歌い始めると、誰かが耳を傾けてくれて、応援したり力を貸してくれたりするんです。高畠先生とのご縁だって、そういう私を応援してくださる方のご紹介で結ばれたものですからね。

「高畠先生の結子ちゃんへの想いには執念のようなものを感じる」

――ホリデージャパンで最初に出した「泣いてもええやろ」は、高畠先生の作詞ではありませんでした。
木下 これは“ホリデー”の社長が、ご自身の中にある木下結子のイメージで歌を作りたいっておっしゃって出来たものでしたので。私にはブルースが似合うって言っていただくことも多いんですが、この曲はまさにそういう路線の作品です。
――そして新曲「百滝桜」は高畠作品。
木下 先生が私のためにイベントの企画などをしてくださる中で歌をお聴きになって、やっぱり木下結子に歌を書きたいと思われて筆を執ってくださったんです。
――高畠先生のようなベテランの方にそうまで思わせるとは大変な惚れ込まれようですね。
木下 何作も何作も候補作を提出してくださったということで。一度、先生の作品から離れましたけど、また歌わせていただけることになって、私という存在を桜の樹に置き換えた、とても奥行きのある歌を作ってくださったことで、こんなにも先生が私に情熱を注いでくださっているんだということを実感しましたので、今はそのお気持ちに応えなければいけないっていう想いでいっぱいです。
――通常、作詞家や作曲家はご自分では歌い手ほどには歌い切れないので、自作を歌手に託すわけですが、話を伺っていると、高畠先生がどれほど木下さんの歌唱力・表現力を高く評価して期待しているかが伝わってきます。
木下 それについては“ホリデー”の社長も「高畠先生の結子ちゃんへの想いには執念のようなものを感じる」っておっしゃってました。
――先生が書かれる恋愛の歌に登場する女性には強さがあるという話がありましたが、それは高畠じゅん子という人そのものの投影のように思えてきました。
木下 私もそう思います。初期に書かれた「意気地なし」や「足手まとい」の女性なんて本当に強くて、そういう自分の気持ちをハッキリと言葉に出来たり、進む道を決められたりするところは、先生ご自身がお持ちになっているものなんだろうと思います。今でこそ強い女性というのは珍しくなくなっていますけど、当時を想えば高畠先生という方は作詞家としてだけでなく一人の女性として時代よりも一歩進んでいた方なんだなって思いますね。
――「百滝桜」でも永遠に花を咲かせてみせるという強い意志が歌われています。
木下 あれはまさに高畠先生の想いですよね。私自身もその気持ちで歌わなければいけないし、歌っているつもりですけど。先生の作品はこれまでにお話ししてきたように恋愛をテーマにしたものだけでなく本当に幅広くて、とても引き出しの多い作詞家だと思うんです。そして、そういう方の作品を歌わせていただくとなれば、私にも表現の幅が求められますから、それは大変です(笑)。でも、その大変さが自分を成長させてくれると思って自分なりに努力してきたつもりです。その成果が聴いてくださる方々に届いてくれていたらいいんですけど。
――その一つが「百滝桜」に寄せられている好評の数々だと思います。
木下 ありがたいですねぇ…。

12月11日にチェウニさん、レイジュさんとクリスマスコンサートを開催

――かつて船村徹先生が、美空ひばりさんに曲を作られる時に「さぁ、どう歌う?」と挑むような気持ちで書かれて、それをひばりさんは見事に歌い切ってしまうものだから、次は負けないぞとさらに魂を込めて作曲されたという話をされていたことがありましたが、高畠先生と木下さんの間にも、木下さんが成長させられているだけではなく、先生にも刺激を与えているという好ましい関係が築かれているのではないかと感じます。
木下 そんなこと考えてもみませんでしたけど、もし私の存在が先生の創作のお役に立てているんだとしたら、それは嬉しいですね。私ばかりお世話になってきましたから。
――「百滝桜」には桜である“私”の他に、それを見守り支える“あなた”が登場しますが、桜が木下さんだとしたら“あなた”は高畠先生なんでしょうか?
木下 先生がいなければ私はここまで花を咲かせて来られなかったと思いますから、先生はもちろん“あなた”です。でも、同時にデビューから今まで木下結子を見守り支えてくださった方々の全てが“あなた”だと考えています。先生はそういうたくさんの方がいらっしゃったからこそ今日の自分があるということを忘れてはいけないと、歌を通して改めて私に教えてくださっている気がします。
――先生ご自身は、この歌を聴かれる皆さんに、細かに解釈しながら聴くのではなく、感じるままに受け止めてほしいと思っていらっしゃることでしょうが、木下さんと話すうちにますます奥の深い歌だと感じられてきました。
木下 そうなんですよ。ですから、その深さを説明するのではなく感じていただけるように私がお届けしなければいけないんです。難しいですけど、これは私にとって本当に大切な挑戦だと思います。
――ところで「百滝桜」に挑まれている木下さんは12月11日にチェウニさん、レイジュさんとクリスマスコンサートを開かれます(東京・ホテル ルポール麹町にて14時開演)。ここではどのような歌が披露されるんでしょう?
木下 3人それぞれが自分の持ち歌を聴いていただくコーナーや、3人で昭和の歌謡曲をうたうコーナーがありまして、他に、私はやしきたかじんさんの「東京」と中川博之先生の「愛をありがとう」を歌わせていただくカバー曲のコーナーがあります。この企画も高畠先生のプロデュースなんですけど、本当にパワフルで私の方が若いのに圧倒されてしまいます(笑)。
――チェウニさん、レイジュさんと共演されたことは?
木下 チェウニさんとは大勢の歌手が出演するステージで一緒になったことがありますけど、こういう形では初めてで、レイジュさんとは全くの初共演です。ですから、とても新鮮な気持ちで参加させてもらってます。
――さて、今後の活動についてですが、「百滝桜」に期待が掛かる中で、木下さんには代表作である「ノラ」を越えたいという強い想いがあるのでは?と思います。
木下 それがないんですよ(笑)。いえ、「百滝桜」を大事に、それこそ未来永劫残るような歌にしたいという気持ちはあります。「ノラ」は多くの方に木下結子を知っていただくきっかけになった大切な曲ですし、これからももちろん大事に歌っていくんですけど、私って例えば「ノラ」が売れたから、それ以上に売れる歌を出さなければいけないっていうような気持ちがないんですよ、ずっと。
――それは先ほど話された「ヒットさせなきゃ、売らなきゃっていうことじゃなくて、その曲の本質や魅力をどれだけ伝えられるかが大事だと思っているから」ということですね。
木下 そうです。「ノラ」がたくさんの方に愛していただけるようになった頃にあるパーティーで、作詞されたちあき哲也先生とお会いして感謝の気持ちをお伝えしたことがあったんですけど、先生は「ノラ」を書かれた頃、お母様がお亡くなりになって失意の中にいらしたそうなんです。それで各社から依頼があっても断られていたんですって。そんな中、コロムビアとサンミュージックのスタッフが粘りに粘ってお願いしたところ、曲があるなら詞を付けてみてもいいっておっしゃられたので、徳久広司先生が先に曲を書かれて、それに詞をはめ込まれたということだったんです。ですからある意味では「ノラ」もまたヒットさせなきゃ、売らなきゃという気持ちで書かれた歌ではなかったと言えると思うんです。でも、徳久先生のメロディーがちあき先生の心の琴線に触れことで、あの素晴らしい作品が生まれたんですよね。
――今、音楽作品は商品として流通していますが、芸術は本来、お金を生むために創られるものではなかったはずですからね。
木下 私の場合は大層なことではなくて、単に要領が悪いということだと思うんですけど、ただできることを一生懸命やるしかないんですね。その積み重ねでようやくここまでやって来られているんですし。

これからも本当に大切なものを守って生きていこうと思います

――高畠先生はよく「『ノラ』を大事にするようにとおっしゃっているそうですね。
木下 はい、ヒット曲、代表作というものが歌い手にとっていかに大切かを忘れないようにとよく言われます。そうした作品を作ってくださった方々や応援してくださった皆さんへの感謝はもちろん、それを初めて歌った頃の自分自身の気持ちや姿勢といったものが、とても大事だという教訓ですね。私は「ノラ」より売れる歌をうたおうなんて思うのではなくて、先生がおっしゃるように「ノラ」や、これまでにいただいてきた作品に注がれたたくさんの想いや、私自身の意識・姿勢というものを忘れることなく歌い続けていけば、いつか「ノラ」よりも大きな感動とか共感の輪が拡がる可能性があるという風に考えています。
――そういう考え方は芸能界のようなところでは、必要な欲に欠けるなんていう評価を受けることもあると思いますが。
木下 ありました、ありました。何度もそれで注意されたり怒られたり(笑)。
――それでも、歌唱力だけではなく、そういう人柄があればこそファンがいて、変わらずに応援してくれる業界の人たちがいて、高畠先生のような存在があるわけですよね。
木下 そうであれば嬉しいですし、そうであるようにこれからも本当に大切なものを守って生きていこうと思いますね。なんて言っても他の生き方なんてできないんですけど(笑)。
――言うまでもありませんが桜の木は、どうすれば人が多く集まるかとか有名になるかなんてことは考えずにただ花を咲かせます。でも、その花の美しさや散り際の潔さによって愛されています。高畠先生が木下さんに桜の歌を書かれたのはつまり、木下さんの生き方や人柄を認められてのことと考えて良いでしょうね。
木下 なんだかとても褒めていただけて嬉しいですけど、調子に乗らないで、少しずつでも花を増やして、よりたくさんの人に楽しんでいただけるような桜になっていきたいです。そうすることが私に「百滝桜」を与えてくださった先生へのご恩返しにもなると思いますので、これからも不器用ながら努力を続けていきます。
――結子桜の木の下で満開の花々を見上げる日を楽しみにしています。ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?