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認知症ってのは、木のうろみたいなものではないのか、っていう話。

木は、建築材料という機能で見れば、緻密な年輪が正輪で構成されていることがだいじなのでしょう。
うろ=洞ができたら商品価値は下がる。という発想。永年、これできた。でもね。三春の桜。洞があるけど、ヒトを励ます力がある。もちろん、今は、延命措置を受けているわけだけれど。
誰かの役に立っているというのは、三春の桜にしても、生きていく意味になっていると思う。
で、認知症ってのは洞ってのに似ていると思う。千年の桜、洞があるのは当たり前、それは風格といってもよい。洞を「治す」必要ってあるのかい? 洞のある姿、カッコいいじゃん。
認知症も、カッコいいじゃん。一生懸命生きてきた証しだぜ! と思う。
なんか、生産性とか、効率とか、そんなんだけでは測れない、人生ってものがある。
ま、そういうこと。

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