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イケイケ60! アツコにおまかせ!!


 第39号の市場さんからバトンを受け取りました平井厚子です。なんと今日はハピバ! こんな日に担当できて、めっちゃうれしいです!!

 プロティアンといえば「アイデンティ」と「アダプタビリティ」。私には「アダプタビリティ」について、苦い経験があります。


1. 怖いもんなしの20代~30代


 私は大学卒業後、フランチャイズ塾会社の一般事務を経て、27歳でソフトウェア会社の教育担当者に転職しました。設立4年目、200人規模の会社で、総務部10名程度のほか全員技術職です。

 総務部にはリーダが3名いて、私もその一人。「自分が何もしなければこの会社の教育は止まってしまう」という使命感をもって仕事に取り組んでいました。経営との距離も近く、リーダがつくる企画はすぐに経営に提案でき、決裁をうけて実行していました。怖いもんなしのイケイケ期です。


2. 環境激変の40代、メンタルダウン


 40歳で課長になり、同時に会社が親会社に吸収合併されました。東京に転勤して、システム部門600人の教育担当、さらには新規立ち上げのグループ全4000人のキャリア教育担当になりました。

 ここで環境が大きく変わったことに気づかないといけなかったのです。何が変わったか。自分の仕事の意思決定システムです。

 システム部門担当時はまだよかった。全社のキャリア教育担当になって、何をどうすれば決まるのか、組織図ではなく実質的に誰がOKといえば決定なのかわからず、イライラばかり募りました。

 さらに教育部門が専業子会社として切り離されました。人事担当役員に直接のプレゼンができなくなり、人事担当者とも発注者と受注者の関係と、さらに距離ができました。企画実行のスピードはがた落ち。自分は何をやっているのか、まったく貢献できていない、このままここにいて私の存在価値はあるのか。そんな閉塞感から体調を崩しました。会社に行けなくなり、半年休職して復帰したものの到底管理職としてのパフォーマンスはできず、51歳で退職しました。


3. なぜ私は適応できなかったのか


 私が合併後の環境、特に意思決定システムに対応できなかったのは、成功体験が強すぎたからだと思っています。今なら転勤を機に一度考え方をリセットし、成功体験をアンラーニングして親会社の組織を観察して、自分の動き方を修正するのだとわかります。「アイデンティ」と「アダプタビリティ」でいうなら、成功体験から頑丈なアイデンティが出来上がっていて、アダプタビリティが足りませんでした。


4,プロティアンと出会って 第二のイケイケ期


 タナケン先生のセミナーを初めて聞いたとき、アイデンティとアダプタビリティのバランスをとりながら前に進むことがプロティアンの核心だと思いました。そのためにはアンラーニングが必要だと。
 60歳で起業して、いま第二のイケイケ期と思うくらい楽しい。それはこの2つのバランスがうまくとれるようになったからだと思います。


次は令和の織田信長!の臼井資則さんにバトンを渡します。よろしくお願いします! 


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